原因不明の突然変異によって、人類の身体が動物に化していくパンデミック。”新生物”に変わった人々は隔離され、フランソワの妻ラナもそのひとりだった。ある日、移送中の事故によってラナを始めとする新生物が社会に放たれてしまう──。
監督・脚本を手掛けるのはトマ・カイエ。ロマン・デュリスとポール・キルシェが親子を演じている。
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僕は閉所、暗所、高所恐怖症だ。遊園地に行っても、楽しめるアトラクションは少ない。ジェットコースターも無理だし、お化け屋敷も無理。乗ったら確実に泣くか漏らすと思う(むしろ、その両方の可能性がかなり高い)。バンジージャンプやパラグライダーを嬉々としてやる人たちの気がしれない。種が違うんじゃないか、というくらいの隔たりを感じる。
怖がり、というわけではないと思う。
ホラー映画やスプラッター映画はむしろ好きで、よく見ている。血しぶきが舞っても、天井や床下から人外の化け物が這い出てきても、ポテトチップを食べながら見ることができる(むしろ、そういうシーンを期待して観ている)。作品を観終わった後に、怖くてお風呂に入れなかったり、眠れなかったこともない。
そんな僕が「あなたが最も恐れているものは?」と聞かれたら、なんと答えるか。
「掃除用具箱(あるいは棺桶)に閉じ込められ、電波塔のてっぺんに置き去りにされること」ではない(怖いけど)。もちろん、「結局、一番怖いのは人間だよ」なんてつまらないことは言ったりしない。
答えは、ずっと前から変わらない。認知症になることだ。
ガン、脳梗塞、通風、尿路結石、どの病気もみんな怖い。今想像することのできない痛みや苦しみが怖い。でも、その中でも認知症が圧倒的に怖い。老いの一部として必然的に起きることであり、生きることに含まれている自然なこととして受け入れていく必要がある。わかっている。そう思う。心の底からそう思う。でも、怖いものは怖い。
自分が、少しずつ自分でないものに変わっていくことが心底恐ろしい。僕がこれまで築き上げてきたものに価値や意味があるとは思わないが、それでも愛着はある。僕という人間が持つ何かを感じて、信じて、関わってくれている人もいる。認知症になって、そういうものを全て失うのが怖い。
変化を望まない形で強いられることはこれまでもあった。しかし、その行き先はあくまでも新しい自分だ。自分ではない(と今の自分には見える)ものに移行するのとは本質的に違うように思える。「変化した自分も、また自分なのだ」と受け入れる自信はない。怖すぎて具体的に考えるのを避けている。そんなことは僕の人生には起きないだろうと、目を逸らして日々生きてきた。そうやって僕がやり過ごしてきた恐怖を、じっくりと、生々しく、具体的に、128分間に渡って突きつける(実感としては塗りたくる)のが、この「動物界」という作品である。