二度の世界大戦後に、イギリスの片田舎で穏やかな暮らしを営んでいたジムとヒルダ夫妻。ラジオから新たな戦争が起こり、核爆弾が落ちてくるというニュースを耳にする。
作家のレイモンド・ブリッグズが1982年に発表した同名漫画をジミー・T・ムラカミが映画化。日本語吹替は大島渚が演出を担当している。
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数十年前に核戦争の脅威を描いたアニメーション作品として、「風が吹くとき」のことは知っていた。実写とアニメーションが混在する先鋭的な表現で作られていることも、小規模な作品でありながら有名なアーティスト(後にデビッド・ボウイであることが判明する)が主題歌を歌っていることも知っていた。レビューサイトやSNSでの評価が高く、「100年後も残したい名作」と呼ばれていることも知っていた。配信サービスでいつでも見れることも知っていた。見た方がいい作品だと思っていた。
でも、見なかった。
原子力に関する技術を軍事に活用すること、核兵器については開発も保有も全面的に反対だ。一方で、資源がない日本で、今自分が気持ちよく暮らしていくためには、原子力を産業として活用すること、つまり原子力発電は必要なのではないかと思っている。原子力発電にリスクがあること、そのリスクを全国の発電所のある地域に負わせていることを事実としては知っている(現在、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の選定を進めていることも)。「問題は原子力という技術ではなく、使い方であり、リスクマネジメントである」という論理もわかる。
この空虚さ。誰かが言っていることを切り貼りしたような言葉ばかりだ。「いろいろ絡み合っていて、難しい問題だよね」で片付けている自分に目を向けたくなかったのだと思う。
しかし、縁あって、この映画を見に行くことになった。こうなったからには、ちゃんと向き合わなければと身構えて鑑賞したものの、想定していたような戦争や核に対する複雑な感情は湧いてこなかった。その代わりに思い起こされたのはコロナ禍であり、今の自分の生活のことだった。