冬の旅
講義の後、浮かない顔をしていた李は魚沼教授から「気晴らしに旅行にでも行くといいですよ」と声をかけられた。そのことをきっかけに彼女は旅に出る。映画「旅と日々」のもうひとつの旅だ。
前半の島の風景とは打って変わって、あたりは一面の銀世界。山々の峰が美しい。
防寒着を着込んだ李の首からは、カメラがぶら下がっていた。このカメラは、講義の後まもなくして亡くなってしまった魚沼教授の形見としてもらったものだった。
「私は言葉の檻の中にいる。旅とは言葉から離れようとすることかもしれない」という李の語りが印象的だった。まさに、ここ最近の私が欲していた旅だったから。
私が都市で生活しているからなのか、はたまた情報社会となった今は日本全国どこでも同じなのか。あらゆることが、いつだって物凄いスピードで進んでいく。すぐには答えを出せないことや、立ち止まって考えたいこと、感じたいことがあっても、すぐさま言葉や態度として表出しなければならない場面ばかりだ。無意識のうちに(意識する隙さえ与えられない)自分の内側よりも、外側ばかりに気を取られている。いつの間にか自分の感覚が鈍っているように思うことが時々ある。だからこそ、言葉にしてもしなくてもいい、感じるだけでいいという自由は、もはや旅でこそ許される贅沢品なのかもしれない。
そんな贅沢な旅の最中、李に思いがけないアクシデントが起こる。ホテルがどこも満室で、ことごとく宿泊を断られてしまうのだ。日が暮れて暗くなった大雪の中、李は途方に暮れていた。
旅慣れていない私からすれば、この土地に泊まるのに宿を予約していないのは、さすがに無謀じゃないかと驚く。せめて、もうすこし明るいうちに探せばよかったのに。でも、李はこういう旅がしたかったのだろう。決まったルートを辿る旅ではなく、心のままに動いて生きている実感を探す旅。
その後、李はやさしいホテルスタッフの人から「ここなら空いているんじゃないか」と教えてもらった古びた宿に、なんとか辿り着く。
外から声をかけても、誰も出てこない。宿のまわりをうろうろしていると、ぶっきらぼうなおじさんが帰ってきた。宿を営む主人・べん造である。
今にも崩れそうな宿で一晩を過ごすことになり、いびきをかく知らないおじさんの横で居心地悪そうに眠る李。不思議な時間に、観ているほうはクスリと笑ってしまう。それから、べん造が李の次回作のテーマ案を出してくれたり、彼のちょっと切ない過去を感じさせるやりとりがあったり。ぽつりぽつりと会話を交わすうちに、ふたりの距離は少しずつ近づいていく。
ある夜、ふたりは真夜中にこそこそと出かけることになり、ちょっとした事件が起こる。そのチャーミングな結末に、人間の切なさとおかしみと感じずにはいられない。
不器用なふたりのあいだに生まれる温かい時間。赤の他人であるふたりの関係は、旅のあいだだけのものかもしれない。ふたりがそれぞれの日常に戻った後も、けれどもこの時間の片鱗が、確かに残り続けるように思った。
