究極のマイノリティ
ヴィクターの回想が終わると、船に「彼」が現れる。火災から逃げ延びた「彼」が自身の過去を静かに語り始める。
「彼」は初めて世界に触れる。そして、人に出会い、銃で撃たれる。自身が人から疎まれる存在であることを知る。人目を避けて、森の中の小屋に逃げ込んだ「彼」は、目の見えない老人とその家族に出会う。小屋に隠れながら、すぐ隣で暮らす家族の会話を盗み聞きながら、「彼」は言葉を覚え、人の営みを学んでいく。家族のために何かできないかと、夜のうちに森で薪を集め、玄関前に置く。「森の精霊が助けてくれた」と喜ぶ家族。それを見て喜ぶ「彼」。
勇気を出して、目の見えない老人に話しかける「彼」。親しくなる二人。しかし、それも長くは続かない。自分の出自を知るために旅に出た「彼」の留守中に、老人が狼に襲われて亡くなってしまう。老人の亡骸に寄り添う「彼」を見た家族は、「彼」が老人を殺したのだと思い込み、銃弾を打ち込む。ずっと見守ってきた家族に撃たれた「彼」が言う。
「狼は羊を恨んでいない。狩人は狼を恨んでいない。だが暴力は避けられない。これが世界のあり方なのだ」
異形の姿、死なない身体、強大な力を持つ「彼」は、恐れられ、疎まれ、排除される。死ぬことのない、彼には終わりもない。世界に1人。究極のマイノリティ。その孤独。想像もできない。
原作小説からも「彼」の言葉を引用しよう。
「おれが悪意を持つのは、みじめだからだ。おれはすべての人間どもから疎んじられているのではないか?(中略)おれを哀れんでもくれぬ人間どもに、なぜおれだけが哀れみをかけなくてならぬのだ?おまえは、たとえばそこの氷河の割れ目におれを落として、その手で創りあげたこの肉体をこの世から抹殺しようとも、それを人殺しとは呼ばんだろう?そんなふうにおれのことを軽んじる相手を、敬うことなどできると思うか?」
「共に暮らし、互いを思い遣り、心を通わせあえる相手なら、おれとて危害など加えやしない。いや、それどころか、俺を受け入れてくれたことにひたすら感謝して、涙まで浮かべるだろう。だが、そんなことになるわけがない。」(新潮社版『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』)
人は神の前では平等だが、「彼」は人ではない。人に作られた存在、「第三原因」である「彼」を神は救わない。「彼」が何なのかを知らない人が「彼」を受け入れることはない。彼を理解し、受け入れることができるのは、彼を生み出した存在、ヴィクターだけだ。
「彼」はヴィクターに会いに行く。創造主であるヴィクターに自分の伴侶を作ってくれと頼む。しかし、ヴィクターはそれを拒否する。「彼」を生み出した後悔と共に、憎しみをぶつける。
揉み合う二人。騒ぎの中で「彼」を庇って、エリザベスが銃で撃たれてしまう。彼女の死を見届けた「彼」は誓う。これからは創造主であるヴィクターを憎むと。そして、またヴィクターも誓うのだ。「彼」を殺すことを。
憎み合い、互いを追い続けた二人は、北極海の探検船に辿り着く。そこで、最後の会話を交わす。
