1961年、ギターを片手にヒッチハイクでマンハッタンにたどり着いた若き日のボブ・ディラン。敬愛するフォークシンガーであるウディ・ガスリーのもとを訪ねて、彼のためにつくった曲を弾き語ると──。
ボブ・ディランを演じたのはティモシー・シャラメ。監督・脚本はジェームズ・マンゴールド。マンゴールドにとって本作は、ジョニー・キャッシュを主人公にした「ウォーク・ザ・ライン」(2005年製作)に続くミュージシャン映画となる。
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ボブ・ディランって
村上春樹みたいなイメージ。
名前だけ知っている人が多い一方
コアなファンがたくさんいる。
ハルキストみたいな
作品ごとに解釈する分析家みたいな
とてもマニアックなファン。
私は完全に前者。
名前だけ知っている。
ノーベル賞取ったとか、それくらいの情報しか知らない。
曲もよく分からない。
映画を見る前に有名な曲はなんだろうと
YouTubeで探したら
「風に吹かれて」
これはなんとなく聞いたことがあるというレベル。
でも他の歌はよく知らない。
ボブ・ディランに対して
そんなイメージを持って臨んだ本作は
最後まで見ても結局、良く分からない。
コアなファンにとっては神様みたいな人であったとしても
私からすると、自分にはしっくりこない、とても遠くの存在。
そこまで心酔できない、なんとなくモヤモヤが残る存在だと思った。
一人の青年が
フォーク歌手になりたくて
ニューヨークにくる
有名なフォーク歌手が入院していると聞き
お見舞いに行った先で知り合った
これまた有名なフォーク歌手にお世話になり
多くの人に出会い
恋愛をして、社会情勢の変化のなか
歌をつくり徐々に世間に浸透していく。
若さ故の葛藤とか
無責任とか
自由とか
抑圧されることへの否定とか
理解はできる。
言いたいことも分かる。
でも彼の言葉や行動に、しっくりくるかと言ったら
なんか違う。
私がつい、女性目線になるからか、
パートナーの苦悩に目を向けてしまうし
親世代目線だと、彼を見出す有名フォーク歌手ピート側の苦労が気になってしまう。
ボブ、言いたいこと分かるよ、でもそれって今なの?
どういう気持ちなの?
結局何が大切なの?
と、つい問いたくなるのだ。