「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」。
登場人物は、末期がんを患ったマーサ。その友人のイングリッド。
マーサは違法に入手した薬物での自死を決意し、最期の瞬間に「隣の部屋」にいてほしいとイングリッドに頼む。
それは簡単には承諾できない依頼だ。舞台であるニューヨーク州では安楽死は認められていない。友人の自死に加担する罪の意識はもとより、「隣の部屋」でまさに人が死んでいくと想像するだけでも、言い表せない恐ろしさがある。
二人は若い頃を親友として共に謳歌したことがあるが、30年近くも会っていなかった。だから、人生の大部分の時間を共有してきたとか、身に起きるすべてのことを打ち明け心を許してきたとか、そういう関係ではない。彼女たちには空白がある。
でも、それがいいんだと思う。
最も身近な親友は、きっとマーサの自死を許さない。できるだけ長く生きてほしいと願うだろう。実際、同じ依頼をイングリッド以外の友人は引き受けてくれなかった。
自らの母性の不足に起因して、実の娘とはずっと疎遠だ。病気のことは伝えたが、治療をするもしないも「ママの選択」だと突き放された。「娘にはそんな重いものを背負わせられない」とマーサは言う。
彼女の希望は、大切な人に看取ってほしいというものではないのだ。ただ、「隣の部屋」にいてほしい。人の気配を感じながら死にたい、ということ。
自身の決断で時を選び、ひとりで逝く。だけど、そのとき、人とのつながりを感じたい。
イングリッドは、そんなマーサの身勝手な要求を怯えながらも受け入れてくれる優しい隣人。生の終わりと死の始まりが重なるときに、ちょうどよい距離にいてくれる人なのだ。