「This is like a Tsunami. (それってまさに津波みたいだよね)」
先日、友人とのやりとりの中で、そんな言葉が相手から飛び出した。最近AIに関する投資がすごい、という会話をテキストメッセージで交わしていた最中だった。メッセージを見た瞬間、私はどんな表情をしていたのだろう。鏡もなかったのでわからない。ただ、体と心の両方が少し強張ったような感覚だけは覚えている。
私自身、「情報洪水」というような言葉を何気なく使う時がある。それは私が洪水の怖さを本当の意味では知らないからだ。津波も私は間近に経験したわけではない。だが、学生時代、仙台で経験した東日本大震災の記憶ーー自らが体感した立っていることもできないような地震の揺れ、その後の津波による沿岸の被害ーーは15年近く経った今でもふとしたきっかけで心をざらつかせる。「Tsunami」のようなたった1つの単語でさえも。
件の友人は、おそらく私が東北で災害に遭ったことを知らない。私もわざわざ言う必要もないと思っている。彼が使った「Tsunami」というたとえで、私の心が微かにさざ波だったことも。共有してもしょうがないことだ。腫れ物扱いしてほしいわけでもない。友人は私を動揺させるつもりは微塵もなかったのだし、そのことでいちいち負い目を感じてほしくもない。心のざわつきを自分でなだめる術だって、今の私は持っている。
たとえ事細かに説明しても、当時の怖さや悲しさ、絶望はきっと100%わかってもらえることはない。そもそも誰かの気持ちを100%理解することなど、不可能だ。だが、時に人は100%を望んでしまう。映画の中でベンジーは自身の感じた痛みを度々周囲に共有する。だが、デヴィッドが何より理解したがっている「あること」については語らない。
傷が痛みを伴うものであればあるほど、100%の、あるいはそれ以上の理解や思いやりや愛情を無意識に願ってしまう。そうでないなら、さらなる痛みを味わうくらいなら、1ミリでも共有したくはない。自分だけの痛みでいい。自らの痛みを望む相手に望む形でわかってもらえないことが何よりの痛みだ。ベンジーはそんな風に思っていたのかもしれない。
だが、互いに共有できない痛みを抱えていても、そばにいられないわけではない。愛せないわけではない。デヴィッドとベンジーが共有できないものは、今までもこれからもきっとたくさんある。それでもあの旅で過ごした2人の時間は、確かに2人だけのものなのだ。
──
■リアル・ペイン〜心の旅〜(原題:A Real Pain)
監督:ジェシー・アイゼンバーグ
脚本:ジェシー・アイゼンバーグ
撮影監督:ミハウ・ディメク
プロダクション・デザイナー:メラ・メラク
衣装デザイナー:マウゴジャータ・フダラ
出演:ジェシー・アイゼンバーグ、キーラン・カルキン、ウィル・シャープ、ジェニファー・グレイ、カート・エジアイアワン、ライザ・サドヴィ、ダニエル・オレスケスほか
配給:ディズニー
公式サイト:https://www.searchlightpictures.jp/movies/realpain
(イラスト:水彩作家yukko)