ホロコーストツアー。それは、日本でいうなら広島の原爆ドームを訪問するようなツアーだ。先人の痛ましい歴史を自分事にするのが目的とされる旅を、コミカルに描くことに違和感を覚える人もいるだろう。近年のイスラエルとガザの問題も頭をよぎる。
だが、映画の登場人物たちもそれぞれ現在進行形の痛みを抱えている。大切な人との死別や孤独感、精神疾患や家庭内不和。圧倒的な悲劇の前では、個々人の痛みは「些細なこと」になってしまうのだろうか?リアル・ペイン、本当の痛みとは何なのだろう?この映画はそんな問いを投げかけている。
「I love him… and I hate him… and I wanna be him…
(彼が好きだけど、すごく憎くて…でもあいつになりたい)」
作中、デヴィッドはベンジーのいないところで彼への想いをそう吐露する。大好きだけど、憎らしくて、うらやましくて。どうやっても相手のようにはなれない自分。その悔しさ。大切な従兄弟を理解したくてもベンジーがある部分では決して心を開いてくれないことも、デヴィッドにとっては「痛み」だったのかもしれない。大事な人に想いを共有してもらえない痛み。
しかし、ベンジーが抱えていたのは、おそらく誰にも共有できない痛みだった。相手が従兄弟のデヴィッドだったとしても。自らの痛みが理解されないものだとしたら、それでまた傷つくのだとしたら、いっそ共有しない方がいい。大小はあれど、誰しもそんな痛みを抱えている。