【港に灯がともる】「大事なもんは時間がかかるわ」諦めず、もがき続ける人々の思いがつなぐ、“あかり”の物語

本作は、映画「心の傷を癒すということ」からバトンを引き継ぐ形で製作された。両作に共通する点として、主人公が在日韓国人であることが挙げられる。灯の家族は、灯を含めて父親以外の全員が帰化手続きを行った。父親の意思を確認するため、灯は対話を試みるが、そのたびに親子の関係に亀裂が入る。互いに感情を昂らせて声を荒げる2人は、それぞれの痛みの置き場所がなく、ひたすらに苦しそうであった。在日韓国人ゆえのハンディ、もっと言えば差別的な眼差しがあったからこそ起きた家族のすれ違いに胸が痛む。

「心の傷を癒すということ」に登場する和隆の父も、本作の主人公である灯の父も、必要以上に高圧的な物言いをする人物だ。そのことに、はじめは強い嫌悪感を抱いていた。だが、物語が進むにつれ、彼らがそうしなければ生き抜けなかった背景が見えてくる。気を抜けば搾取される、下に見られたら蔑まれる。彼らがそういう気負いを手放せなかったのは、生まれながらにして日本国籍を持つ者たちが、彼らを蔑み、迫害した歴史があるからに他ならない。

私の友人にも、韓国にルーツを持つ人がいる。同じ物書きであるその人は、ミックスルーツであることが原因で、数々の辛酸を舐めてきた。私より10歳も若い友人でさえそうなのだから、30年前の日本で在日韓国人として生きるのは、容易なことではなかっただろう。

私は先ほど、「差別的な眼差しがあったからこそ起きた家族のすれ違いに胸が痛む」と書いた。だが、他人事のように胸を痛めていい立場だろうかと思い直す。私個人が、ミックスルーツの人々を差別した記憶はない。だが、そういう差別が社会に蔓延していることを、子どもの頃から知っていた。私はそれに、明確に「NO」を伝えてこなかった。「差別は許さない」と、言葉にすることを怠った。友人の話を聴くまで、私は当事者が受ける差別の実情を爪の先ほども知らなかった。見てみぬふりをして、当事者だけに闘わせてきたことを、今さらながら深く恥じている。

震災という大きな困難を前にして、ルーツを問わず助け合いが生まれた場面もあろう。だが、復興を進める中でルーツが足枷になった人も大勢いただろうことは想像に難くない。灯が抱える痛みと父が抱える痛みは、どこまでも平行線で交わらない。それでも灯は諦めず、自分にできる精一杯で父との細い絆をつなぎ止める。

灯は家族と向き合う道を選んだが、私個人としては逃げるのも一つの選択肢だと思っている。家族の形に正解はない。それぞれが選んだ道が正解で、自分が選んだ道を信じていい。

1 2 3
S H A R E
  • URLをコピーしました!

text by

エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729