本作において、印象的なシーンがある。両親の手話を見よう見まねで覚え、拙いながらも手話で会話する大に対し、祖父母は頑として手話を使わない。「どうして手話を使わないの?」と問う大に、祖母はこともなげに「だって難しいでしょう」と言い放つ。その台詞には一切悪意がなく、それゆえにマイノリティの現状を浮き彫りにしていた。
〈ろう者は言語的マイノリティです。その気持ちを理解するためには、聴者も同じような経験をする必要があります。たとえば、ろう者の集団に入ってみる。そこで音声言語が通じない経験をすることで、初めてろう者の気持ちがわかるのではないか、と思います〉
映画の原作本と対になる双子のような存在の書籍、『聴こえない母に訊きにいく』(五十嵐大/柏書房)の一節である。
「聴こえる」側には、選択肢が2つある。手話を使うか、使わないか。もちろん、学ぶには相応の時間と労力がいるだろう。しかし、学ぶことを諦めなければ、手話を覚えることは可能だ。では、「聴こえない」側はどうか。手話を使わない選択を持つ聴覚障害者は、おそらくほとんどいないだろう。
仮に「手話を使わない」場合には、非常に難解な口話法を会得する必要がある。「唇を読んで相手の言っていることを理解する」技術を、過去、多くの聴覚障害者が強いられた。聴覚に障害を持つ当事者にとっては、視覚コミュニケーションである手話のほうが自然であり、楽なのは言うまでもない。だが、かつてはろう学校でさえ、授業は口話で進められた。口話教育をどんなに受けても、健常者と同じ話し方ができるようになるわけではない。外で声を出せば「話し方がおかしい」と奇異の目を向けられる。挙句、コロナ禍以降はマスクで口元が見えなくなり、唇を読むことさえできなくなった。当事者にとってよるべとなる手話を「使わない」選択肢など、健常者が押し付けたエゴに過ぎない。
「障害」という言葉は、なぜか必要以上に重く捉えられがちだ。しかし、実際には数え切れないほどの当事者がいて、いつ誰が抱えてもおかしくないのが「障害」である。高熱が原因で聴覚を失う人もいれば、脳梗塞が原因で言語障害を負う人もいる。どちらも、私の身近な人に起こった実体験だ。私は、誰かの「できない」を責めたり揶揄したりするのではなく、補い合い、支え合い、相互理解が深まる社会のほうがいい。
本作は、「五十嵐家」というある家族の話を描くことで、コーダの切実な声を伝えている。マイノリティの声は、往々にして障害名や属性で一括りにされがちだ。しかし、実際は一人ひとり違う。性格、特性、環境、家族関係、経済状況、時代背景、周囲の理解度。さまざまな要因により変化する家族のカタチは、マイノリティもマジョリティも千差万別である。
障害者本人の生きづらさが取り上げられることは多いが、本作のように障害者の家族が抱える葛藤には、なかなか焦点が当てられない。仮にそこにスポットが当たるとしても、大抵の場合は「献身的で可哀想な人」として取り上げられる。
障害者のご両親がいて大変だね、可哀想だね、でも心を強く持って支えてあげてね。がんばってね。だって、「あなたは健常者なんだから」。
こういうメッセージを送る人は、「善意」のつもりであることが多い。だから、言われた側は怒るに怒れず、鉛を飲み込んだように重い気持ちを抱えながら「ありがとう」と口にする。私自身も障害者ゆえ似たような経験があるが、これは地味につらい。当然、大変なことは多い。他者が経験し得ない苦労があるのも事実だ。だが、幸せや喜び、慈しみの感情を味わう瞬間もたしかにある。「つらい」か「幸せ」か、どちらか一方だけの人生なんてありえない。しかし、「障害」という枠組みに入れられた瞬間、日常にあるはずのグラデーションがあっさりと「なかったこと」にされる。
「可哀想な人」と一方的にレッテルを貼られるのがどれほど屈辱的か、ただその家に生まれてきただけなのに「親(もしくはきょうだい)を守ること」を強いられるのがどれほど本人の選択肢を狭めるか、「あなた自身は健常者なんだから」と問題を矮小化することで当事者の声が何度塞がれてきたか。私たちは、そこから目を逸らすべきではない。