両親の耳のきこえない家庭で育った大は、幼少期から両親の愛情を注がれ幸せな日々を送っていた。しかし次第に、友人たちと異なる家庭環境に身を置いていることに気付き、いつしか母の存在を疎ましく感じるようになっていた。
作家・五十嵐大の自伝的エッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』を、呉美保が映像化。主演を吉沢亮、母・明子役を、ろう者俳優として活動する忍足亜希子が演じている。
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障害者がバリアフリーを望む声に対し、「なぜ健常者がそこまでしてあげなければいけないのか」と反発する人を数多く見かける。その人たちは、仮に自分が障害者になったとき、同じことを言えるだろうか。
昨日までできていたはずのことが、突然できなくなる。そういう現実が襲いかかる可能性は誰もが持っており、生まれつきの要因にとどまらず、環境起因の障害も数多く存在する。誰かの「できない」を責めるとき、その指先は少なくない確率で本人に向かう。
「CODA(コーダ)」という言葉をはじめて知ったのは、五十嵐大さんのエッセイ集『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)を読んだのがきっかけだった。
コーダとは「Children of Deaf Adults」の略で、「聴こえない親の元で育った、聴こえる子どもたち」を意味する。2024年、「ぼくが生きてる、ふたつの世界」とタイトルを改変して本書が映画化された。本作は、原作で描かれる五十嵐さんの人生を丁寧に描き出している。
宮城県の小さな港町に生まれた主人公・五十嵐大は、耳が聴こえない両親のもとで育った。父母はいつも優しく、温かい愛情を大に注ぐ。酒癖の悪い祖父と宗教にのめり込む祖母は、両親の穏やかさとは対照的な存在だ。しかし、決して家族に愛情がないわけではなく、不器用ながらも彼らが大の成長を見守っていることが見てとれる。
幼少期、たどたどしくも手話を使って母と会話をする大は、まっすぐに母親を求めるごく普通の子どもだった。郵便ポストに手紙を入れ、互いにメッセージを交換し合う親子のコミュニケーションは、実に微笑ましい。だが、小学生になり自宅に友人を呼んだ際、「お前の母ちゃん、話し方おかしくない?」と言われたのを境に、徐々に大の中に戸惑いが生まれる。
その後、思春期に進むにつれ、大は母親との間に明確に距離を置くようになる。両親の障害。それゆえに受ける周囲からの偏見と差別。手話だけでは伝え切れない複雑な感情を持て余す日々にあって、大は焦りと苛立ちを募らせていく。やがて人生の岐路でもある受験期を迎え、誰にも相談できないまま勉強に励むも、志望校に落ちてしまう。受験に失敗した息子を母は励ますが、大は怒り任せに母に暴言を投げつけ、深い後悔に苛まれる。