【シビル・ウォー アメリカ最後の日】分断を理由に諦めないために

分断とは何か

この映画に対して、「現代の政治的、思想的な分断の到達点の一つを描いている作品だ」と評するレビューを複数見た。

本当にそうだろうか。分断とは何だろう。社会の中に共感できないことを語る人がいる。わかりあえない思想を持つ人がいる。これは分断だろうか。対話を試みても、拒絶される。そもそも対話が成立しない。これが分断だろうか。

考えていることがわからず、対話が成立しない存在。僕にとって、それは乳幼児だ。

長男が生まれたとき、何をしていいか本当にわからなかった。乳幼児はとにかく泣く。なぜ泣いているかはわからない。こちらができることは少ない。おむつを替える、ミルクを飲ませる、抱っこする、くらいしかできることがない。全部やっても泣き止まない。何かを切実に求めて泣いている子どもと一緒にいるのは辛い。でも、何を求めているかはわからない。できることがない。泣き疲れて寝てくれたらいいなと思いながら、抱っこして歩き回る。その繰り返し。

僕と長男は分断されていたのだろうか。だから、一緒にいるのが辛かった?彼が成長していくにつれて、彼自身が要望や感情を伝えてくれるようになり、あの頃自分が感じていた「何をしていいかわからない」という感覚はかなり薄れてきた。これは分断が解消されたからだ、と考えていいのか。

僕は長男のことがわからなかった。共和党支持者と民主党支持者同士よりも、保守とリベラル同士よりも、僕らはお互いのことをわかりあえていなかった。だから、やはり僕と長男の間には分断があったのだ。でも、それを分断ととらえることには抵抗がある。それだけじゃない。関わりたいと思っていた。小さい指先を触ったり、抱っこして体温を感じるのは心地よかった。僕と長男の間には分断があったけど、そこにはつながりもあった。

他者との関係は、相手が理解できるか、共感できるか、共通点が多いかでは決まらない。その人との間に分断があるかどうかは重要じゃない。分断されていたとしても、つながりを持つことはできる。僕らはわかりあえず、話し合えない人たちと、同じ世界で暮らしている。人の言葉を持たない猫や犬、観葉植物やぬいぐるみとだって、一緒に暮らしている。分断はつながりと共に社会の根幹に埋め込まれている。だから、どちらも永遠になくなることはない。

分断は問題ではなく前提だ。では、一体何が問題なのか。何が内戦を引き起こしたのか。それは恐らく、分断ではなく対立だ。

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S H A R E
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1984年生まれ。兼業主夫。小学校と保育園に行かない2人の息子と暮らしながら、個人事業主として「法人向け業務支援」と「個人向け生活支援」という2つの事業をやってます。誰か仕事をください!