物語中盤あたりまでのカナは、どんな人間とも表面的なコミュニケーションをする。同級生の会話を受け流し、脱毛サロンの仕事を無感情にやりすごす。甲斐甲斐しいカレシに対しては繊細で潔癖なふりで予防線を引き、二股相手の前では手に入りそうで入らない女を演じ、相手の独占欲をくすぐる。これだけ見ると、一般的に言われるような「不器用で生きづらい人間」には思えない。
むしろ、彼女はうまいことやっている。若さや容姿や奔放な性格さえ武器にして、生活の面倒を見てくれるカレシをキープし、無職になっても野垂れ死なない。付き合う相手を病ませこそすれ、自身はいわゆるメンヘラとも違う。
それなりに能天気にやってきた彼女が、苛立ちを強くし始めるのは、今カレのハヤシと暮らし始めてからだ。彼女の凶暴性は突然発露したようにも見えるが、身勝手さや残酷さ、苛立ち自体はずっと前からあった。ただ、それが物理的暴力というかたちで現れるのは、ハヤシとの関係が軋み始めてからだ。
最初は突発的なものだった。空腹の苛立ちを抑えきれなくなったカナがハヤシに物をぶつける。怒ったハヤシが声を荒げると、カナは「やだ、こわい」と被害者ぶった声を出し、混乱したハヤシは部屋を出ようとする。その顛末はカナの大怪我で、それで破綻するのかと思ったら、結局、車椅子を押す方も押される方も案外満たされた顔をしている。
怪我から回復した後も喧嘩は止まない。それどころか次第に、確信的な行動になる。相手を無駄に怒らせて派手な喧嘩を仕掛ける。普段は無気力そのもののカナが、ハヤシとの喧嘩となると全身で大暴れする。その時ばかりは生気がみなぎっていて、そんなエネルギー、一体どこに隠してたのと驚いてしまう。
生ぬるい言葉は、パトスに支配されたカナの腹の足しにもならない。暴力の方がよっぽど、生の実感がある。彼女には、傷や痣、鼻ピアスや刺青のように、絶対的な身体性が必要なのだ。
ハヤシはハヤシで、散々その関係に嫌気が差しながらも、決してカナから離れていかない。帰国子女で高学歴、太い実家とハイソなコミュニティ。ガチャ的には「アタリ」の生い立ちで、だけどそこをはみ出したことを「常識に収まり切らないクリエイティビティ溢れるオレ」として正当化する彼もまた、正体の見えない何かに苛立っている。
カナとハヤシの、苛立ちをぶつけ合う物騒な共依存関係。それがもしも「健全」じゃないとしたら、診断名をつけて「治療」されるべきなのだろうか。
8歳児の機嫌が理不尽に悪いのは、空腹か眠気のせい。
カナとハヤシは、喧嘩の後、ハンバーグを食べる。苛立ちが空腹のせいなら、ただ、食べればいいのだ。食べることを共有し、一緒に眠ればいいのだ。
このシンプルに勝る解決策などあるだろうか。
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■ナミビアの砂漠
監督:山中瑶子
脚本:山中瑶子
撮影:米倉伸
照明:秋山恵二郎
録音:小畑智寛
美術:小林蘭
音楽:渡邊琢磨
出演:河合優実、金子大地、寛一郎、新谷ゆづみ、中島歩、唐田えりか、渋谷采郁、澁谷麻美、倉田萌衣、伊島空、堀部圭亮、渡辺真起子ほか
配給:ハピネットファントム・スタジオ
公式サイト:https://happinet-phantom.com/namibia-movie/
(イラスト:水彩作家yukko)