【ナミビアの砂漠】苛立ちを癒すもの

映画鑑賞には意味を見出さない彼女だが、ナミビアの砂漠を淡々と映すライブ映像を見るのは嫌いじゃない。

「暇があれば見ている」という表現は正しくない。彼女には趣味がなく、終盤には仕事もない。目的も、生きがいもない。だから年中暇と言えば暇。生きること、イコール暇。

彼女にとって砂漠のライブ映像を見ることは、余暇の楽しみではなく、純然たる暇潰し。死ぬまで延々と続く、お腹が減っては何かを食べることを繰り返すだけの生を、ただ潰し、時が過ぎるのを待つ。

生きることはだるい。生きるとお腹がすく。お腹がすいてイライラするけど、何を食べても同じなので、食べ物自体には興味がない。何を食べるかを考えることさえめんどくさくて、じゃあ、餓死すればいいかというと、そんな意志が要求されるようなアクションは、かったるすぎて選択できない。

仕方がないので、今日もナミビアの砂漠を見ながら、何かしらを口に運ぶ。

小さな水飲み場に、いたりいなかったりするダチョウ。空腹や喉の渇きを解消することだけを目的に生きる動物たち。

胎内を思わせるピンク色の部屋。スマホでどこかの誰かの生活を眺めながら、いくら走ってもどこにも辿り着かないルームランナーをひた走る。その姿を、わざわざ2,000円払って、137分費やして、私たちもただ眺めている。

やがて、彼女はルームランナーを降りる。なんだこれ?どこだここ?

彼女の苛立ちは、どうしたら収まるのか。精神科医と話したり、カウンセリングに通ったりすると、彼女の人生が「治療」されるのか。

若いし、健康だし、容姿にも恵まれている。だから、ちゃんと目標や目的を見つけて、この先の人生を前向きに生きなよ。

それってつまり、目的や生きがいがあった方が幸せってこと?そうじゃない子は可哀そうってこと?心が落ち着いて人を傷つけず、真面目に働いて自立する。そうなって都合がいいのは、いったい誰?

他人が勝手に彼女を解釈しようとする。その解釈が正しくないから苛立ってるわけじゃない。イライラするのは空腹のせい。解釈とかどうでもいいから、飯食わせろっていう、ただそれだけ。

そのくせ面白いのは、カナは相手から関心を寄せられること自体は好きなのだ。正しく理解されたいわけではないが、理解しようとされることは好き。

「双極性障害かもしれないし、境界型のパーソナリティ障害かもしれない」
Macの画面越しに会話した医師は病名を明言しない。無職のカナには診断書を出す先もないので、実際、そのどっちだろうが大した問題じゃない。それでも、お得意の鼻にかかった声で、「え、だって自分のこと知りたいじゃないですか」と言ってみせるのは、小難しい名前の病気と診断されたなら、ちょっと、自分が特別なもののようになった気がするからだろうか。

「僕はホントのカナを知ってる」
「俺たち、高め合っていけると思うんだよね」

愛しき勘違いカレシたち。それに対し、カナは無言で嘲笑を送る。コイツら分かったような顔して、ほんと草。

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S H A R E
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スタートアップや上場企業の経営アドバイザー。元クラウドワークス取締役。
文学部中退、法学部卒。これまでのキャリアは左脳優位。目下、右脳を解放中。
戯作三昧、おしゃべり三昧。Podcastをやってます。