美容脱毛サロンで働くも、自分の人生に退屈しながら毎日を生きている21歳のカナ。恋人のホンダとは別に、クリエイターのハヤシに少しずつ惹かれていた。
「あみこ」の山中瑶子が監督・脚本を、主人公のカナを河合優実が演じている。
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「映画なんか観てどうすんだよ」と怒り狂い、カレシを蹴りつける21才の主人公。
カナは、わざわざ劇場で映画を観るような子じゃない。だから彼女と観客は、どうしたって対極の位置にある。それなのに、自分の中にカナがいるとか、カナの中に自分がいるとか、そういう主張が後を絶たない。
もしも観客が彼女に共通点を見出したとしたら、ミニシアターでスタンダードサイズの映画を観てセンチメントに浸る、ちょっと強めの自意識の方じゃない。それは、「お腹が空く」という生理現象の方だ。空腹や眠気、泥酔の末の嘔吐、人間なら当たり前の現象。その当たり前のことにストレスを感じて、イライラするところまでがセット。
面倒な状況になると嘘をついてはぐらかそうとしたり、痛いところを突かれて逆ギレしたり、自分に優しくしてくれる人の小さな隙をついて意地悪したり。そういうズルさや残酷さ。あまねく人間に標準装備されたろくでもなさを、悪びれもせずつまびらかにする。
そりゃそうだよね、あなたの中にカナはいるし、カナの中にもあなたはいるだろう。
それでも、ほとんどの観客には理性や良識があって、いくらお腹が空いたって、物を投げたり、恋人を蹴りつけたりはしない。ところが、カナは情動に任せて蹴りつける。暴れたらもっとお腹がすくだろうに、彼女はそんな合理的思考を持ち合わせていない。彼女を支配するのは、圧倒的にパトスだ。
やれやれ、8歳のうちの息子とだいたい似たようなものだが、息子はこの映画を観るにはまだ早い。そして、かつて8歳だったがもう8歳じゃない観客たちは、カナを見て自分の中の8歳を思い返すのだ。