江口のりこ演じる「愛に乱暴」の主人公・桃子は、まさにその井戸の中にいる。
40代半ばの桃子が結婚したのは8年前。
夫との結婚は彼女の妊娠がきっかけだったが、流産してしまう。再び桃子が妊娠することはなく、今ではベッドで夫に背を向けられている。
しかし、彼女は定期的に婦人科の診察を受けている。
妊娠の可能性はゼロなのに、わざわざ電車に乗ってクリニックに赴き、自分の子宮の具合を確かめることを欠かさない。
つまり、彼女は自分の妊孕能を確認しようとしているのだが、婦人科医は無情にも彼女が更年期に近づいていることを告げる。
「妊娠できる」ことは、8年前の桃子の武器だった。孤独と卑屈の井戸から、一発逆転で抜け出させてくれた奇跡の武器。
その武器によって獲得した結婚という「愛」がまさに今、夫の不倫によって脅かされている。
40代半ばの現在、彼女にはもう、当時の武器はない。
その恐ろしさから目を逸らそうとすればするほど、狂気に浸されていく桃子。
身勝手な夫、付き合いにくい姑。
外野から見れば、失うことを恐れる価値もない存在だ。
しかしこの8年、彼女は「首輪をつけられたまま捨てられた猫」だった。
会社勤めを辞め、夫の実家の敷地の離れに住み、買い物と料理とゴミ出しで一日が暮れる。家族以外の人間と言葉を交わすことさえほとんどない。そんな生活を繰り返す中で、かつて「仕事ができる」と言われていたはずの彼女も変わってしまう。家を出る覚悟も、生きていく術も持てなくなっていた。