【劇場版 アナウンサーたちの戦争】言葉の影響力で何をするか

言葉を取り扱う責任

和田とアイヒマンは全然違う。だけどその境界線は曖昧だと思った。
わたし自身も、アイヒマンになる可能性があると思った。

怖くなった。言葉を取り扱うことが。
わからなくなった。言葉をどのように磨けばいいのか。

ただ、ひとつだけわかったことがある。言葉を取り扱うにふさわしい人間とそうでない人間がいることだ。ふさわしい人間とは、言葉を使いこなせる人間ではなく、言葉を使いこなそうとしない人間である。

本物の剣とちがって言葉は加害の深さや致死レベルを測ることができない。怪我や病気に比べ、精神の病が見過ごされてしまいがちなことと似ているだろう。

だから知ろうとするしかない。想像するしかない。言葉が“何”をしてしまう可能性があるのかを。恐れなければいけないのだ。どんなに嫌悪しようとわたしたちの中にはアイヒマンが潜んでいるのだから。

館野が涙ながらに謝罪した時、わたしは咄嗟に腹が立ったが、必要なことだったと今は思う。取り返しのつかない後悔が、必要だったのだ。わたしが作家さんに「あなたのように言葉を使いこなせるようになりたい」と失礼な言葉を送ってしまったように。

言葉を取り扱うということは、そういうことの繰り返しなのだろう。館野のように間違えて悔やむか、和田のように立ち止まり続けるかの違いなのだ。その積み重ねをすることでしか、わたしたちは言葉に慎重になれないのかもしれない。

物語に登場したアナウンサーたちはみな、電波戦士の役割を終えた後、それぞれが自分なりの道に進むことになる。誓いのように真実の報道へこだわった道に進んだ者、まるで謝罪するように役割を終えた者など、様々だ。アナウンス器具とともに殉職した者もいる。だけどその選択のどれもが、痛みに向き合った結果のように思えた。

言葉を取り扱う以上、わたしたちは問い続けなければいけない。自分が言葉で、今“何”をしようとしているのかを。そして間違えたと思ったら、彼らのように選び直さなければいけない。それが言葉を扱うということの責任なのだ。

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■劇場版 アナウンサーたちの戦争
演出:一木正恵
脚本:倉光泰子
撮影:佐々木達之介
照明:水村享志
美術:山口類児
取材:網秀一郎、大久保圭祐
録音:高山幹久
音響効果:最上淳
編集:松本哲夫
映像技術:齋藤佑樹
VFX:高﨑太介
出演:森田剛、橋本愛、高良健吾、安田顕、大東駿介、浜野謙太、水上恒司、藤原さくら、中島歩、渋川清彦、眞島秀和、古館寛治、小日向文世、遠山俊也ほか
テレビ版制作著作:NHK
配給:ナカチカピクチャーズ
公式サイト:https://thevoices-at-war-movie.com/

<参考>
*1:ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告【新版】』(みすず書房)
*2:戸谷洋志『スマートな悪 技術と暴力について』(講談社)


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フリーライター、エッセイスト、Web編集者、ときどき広報。沖縄に10年くらい住んでます。読書と短歌と育児が趣味。