【風が吹くとき】風が止むとき

コロナ禍のジムとヒルダ

国内初の感染者が確認された2020年1月から、感染症法上の位置づけが季節性インフルエンザと同じ5類となった2023年5月までの約3年間、政府や医療機関を中心に、さまざまな施策が実施された。

毎日の検温、徹底された手指消毒、炎天下でも外せないマスク、至る所に設けられたアクリル板、遺族との最後のお別れすら許さない病院、予防のために立ち会えない火葬、学校に通う子どもたちへの黙食指導、県をまたぐ移動の自粛要請、要請に従わない人を批判する「自粛警察」、法的拘束力のない緊急事態宣言、効果が疑問視されなながらも実施されたまん延防止等重点措置、ワクチン接種の推進と反ワクチン運動。

感染リスクを下げることが「善」だったコロナ禍で、社会で何が起きたのか、なぜそのようなことが起きたのか。人類学者の磯野真穂の著書「コロナ禍と出会い直す(不要不急の人類学ノート)*」からいくつか引用しよう。

 「コロナ禍で連呼された大切な命というフレーズ。しかしこのフレーズの下に積み重ねられた多様で大量の感染対策が、元から脆弱であった人々の命を砕いた。そしてその余波はいまだ続いている」

 「リスク対策は、問題Aを避けるための対策と、その対策によって生ずるであろう問題Bを天秤にかけ、問題Bがおおきくなりすぎないよう対策の内容を調整することだ。しかし、コロナが5類に移行するまでの3年あまり、日本のあちこちでコロナという問題Aを避けることが最優先事項となり、その結果生ずるであろういくつもの問題は仕方のないこと、取るに足らないこととする判断が蔓延した」

「ただ、私が感染拡大の議論を聞いていて疑問に思うのは「命と経済」の対比です。でも私は、これは「命と経済」の話ではなく、「命と命」の問題だと思うのです。(中略)「不要不急」という言葉があります。私たちは「不要不急」の外出を避けろと言われていますが、「不要不急」と言われたその先に、仕事をしている人たちがいて、その仕事をしている人たちにとって、その場所は「不要不急」どころか、「必要火急」です」

また、著者は以下のようにも書いている。

「2020年春、「緊急事態宣言を出さない政府」を非難する人々の声が高まった。私はこの状況に心底オドロした。いや、もっと素直に吐露すると怖かった。緊急事態宣言は、国民の自由を政府が制限する宣言である。そんなことはさせまいと抵抗するのが、抵抗が許されているのが民主主義国家だと信じていた。しかしこの国では、国民が自分たちの自由を制限するようにと声を上げた。しかもその中には、当時の安倍政権に大変に批判的な人たちも多く含まれていた。絶対的な信を寄せる政府に対してそうするならまだわかる。しかし忌み嫌う政権が自分たちの自由を制限しないことを批判するとは、一体どういうことなのか」

コロナウイルスという未知の恐怖に対して、僕は無知だった。何をしていいかわからなかった。仕事も価値観も多様な人々と共生する社会の中では、誰かを守ることが別の人を危うくするトレードオフが起きてしまう。その折り合いをどうつけていいのかわからなかった。政府の政策に批判はできても、代替案は出せなかった(出せたとしても実現性はゼロだが)。どうにもならない現状をどうにかしたくて、誰かにどうにかしてほしい、という気持ちはあった。政府のような権力を持つ存在に舵取りを委ねた。僕は従順だった。言われたとおりに、外出は避けて、家で仕事をした。マスクをつけて、消毒をした。ワクチンを打った。待っていればいつかよくなるだろうと、日常生活を淡々と送った。やれと言われたこととできることはやっている、と思いながら。

コロナ禍において、僕はジムであり、ヒルダだった。

自分がやったこと、社会がやったことが間違っていた、とは思わない。実際に、日本の感染者数は他国に比べて少なかった。一定以上の成果を出せたのだと思う(その成果の全てが感染防止策の効果だと言い切れないだろうが)。でも、だからといって、起きたこと全てを肯定するということはしたくない。無知で従順だった僕が生き残ったのは、たまたまコロナウイルスが放射線よりも有害でなかった、というだけのように思える。もっとひどいことにだってなり得たのだ。

ジムのように無知であってはいけない。我々は学ばなければいけない。教育が重要だ。ヒルダのように従順であってはいけない。常に批判的な視座に立ち、客観的に、科学的な視点で、状況を判断しなければいけない。

言うのは簡単だ。でも、果たして、僕らは無知でも従順でもない存在になれるのだろうか。教育が十分に提供されて、必要な情報を手に入れてよい判断ができれば、僕らは適切な正しい行動ができる?では、イギリスの片田舎の老夫婦である、ジムとヒルダにとって適切で正しい行動とは何だったのだろう。他に何ができたのだろう。

コロナウイルスが5類に移行しても、重篤化リスクの高い高齢者や幼児はいる。そもそも季節性のインフルエンザも毎年数百人の死者が出ているのが現状だ。マスクをすれば、消毒すれば、救える命があるのは、コロナ禍も今も変わらない。でも、僕はどちらもしていない。身近に基礎疾患のある人がいないから。誰かに、そうしろと言われていないから。

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S H A R E
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1984年生まれ。兼業主夫。小学校と保育園に行かない2人の息子と暮らしながら、個人事業主として「法人向け業務支援」と「個人向け生活支援」という2つの事業をやってます。誰か仕事をください!