【虎に翼】私が思う“まっとうな”大人とは

映画「福田村事件」で、行商の頭が叫んだ一言が今でも頭から離れない。

「朝鮮人だったら殺してもええんか!」

差別の怖いところは、差別した側にも恐怖心を植え付けるところにある。差別をすれば、相手に恨まれるのは当然であろう。それゆえ、加害者は復讐を恐れる。恐れるあまり、さらに相手を虐げる。こんなにも不毛な加害はない。

寅子が担当した裁判の中で、放火事件の被疑者として朝鮮人である金顕洙が登場する。本事件の裁判の場で、被疑者の弟が次のように叫んだ。

「この国じゃ、警察も裁判官も誰も信じられない」

本記事冒頭に記した憲法第14条には、「差別されない」理由の中に「人種」が含まれる。しかし、日本国憲法が改正されたのち、令和の現代においてさえも、人種を理由にあらゆる差別が横行している。

理想通りにはいかない社会の風潮に、寅子は幾度となく歯噛みする。しかし、自分にできることを探し、淡々と事実を積み重ね、寅子は仲間と共に最大限“公平”な判決を下した。

「火のないところに煙は立たずで終わらせるのか。それとも、その煙を上げたのは誰なのかを見極めるのか」

寅子と共に金顕洙の裁判を担った裁判官・星航一の言葉である。差別や偏見のもと、「火のないところに煙を立てられた」人が大勢いることは歴史が証明している。なんらかの思惑があって相手をハメる場合もあろうが、差別の多くは無意識下で相手を刺す。「自分は差別なんてしていない」と少なくない人が思っている。だが、誰しも深層心理の中に差別感情を蓄えている。

憲法に定められていても、法律が差別を禁じても、人心がそこについてこなければ意味がない。己の中にある差別とどう向き合うのか。その感情はどこからきているのか。学ぶ姿勢を持ち、知識を身につけ、当事者の声に耳を傾ける。その上で、自分の中の差別感情に自覚的であること、向き合い続けることでしか、凶行は防げない。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。