ある日、多岐川たちと共に戦災孤児の視察に出かけた寅子は、上野の街でスリを生業とする少年・道男と出会う。少年と青年の境目のような年頃の道男は、スリの売上を周囲の幼い少年たちに分け与えていた。その後、紆余曲折を経て、道男は寅子の家に居候することとなる。しかし、道男の行動が誤解を招き、そのことに傷ついた道男は寅子の家を飛び出してしまう。
病床の母親・はるに懇願され、寅子は道男を見つけ出すも、道男本人に強く拒まれてしまう。「どうせ自分なんか」と心を閉ざす道男に、寅子が必死に訴えかける台詞が印象的であった。
「誰でも失敗はするの。大人も、あんたも。でも、まっとうな大人はね、一度や二度の失敗で子どもの手を離さないの。離せないの。かかわったらずっと心配なの。そういうもんなの」
私は果たして、寅子のいう「まっとうな大人」だろうか。そうでありたい。そうでなければならない、と思う。その日1日を無事に生き延びる。それだけのために罪を犯す子どもたちが、現在の日本にも大勢いる。貧困問題は、何も戦時中に限った話ではない。ましてや、戦災孤児の問題に至っては、その責務はすべて大人たちにある。
75年前の南日本新聞に掲載された、戦災孤児(田口君)と記者の会話の記録が残っている。
本社 君たちは何がほしい。
朝ドラ「虎に翼」が光を当てた戦災孤児…75年前の新聞はどう伝えたか、当時の記事から振り返る(南日本新聞)
田口君 ごはんがほしい。白米のごはんが。
戦争を起こしたのも大人、止められなかったのも大人。そのとばっちりを受けた子どもが、「ごはん」さえ食べられない。この場合、子どもが窃盗をはたらいたとして、それは果たして罪だろうか。国内だけではなく、ガザやウクライナなど、世界中で同じ悲劇が繰り返されている。
戦争はいつだって奪うばかりで、奪われるのは弱き者で、それなのに命をつなぐための窃盗は許されない。このような現実を「しょうがない」と諦める大人を、私は“まっとう“とは思わない。