【ある一生】虐待、貧困、戦争。数々の苦難を経験しながらも、自らの意志で誠実に生き抜いたある男性の生涯

戦争が終わり、時代が移ろい、年老いたエッガーは晩年まで働き続けた。干草を背負い、新たな出会いを果たし、ほろ苦い体験を経て“独りであること”を貫く。彼の生き様は決して器用とは言えないが、実直で嘘がつけないエッガーという人間を、気付けば好きになっていた。

虐待、貧困、戦争。数々の苦難を経験しながらも、エッガーは生き抜いた。その人生には、たしかに「幸福」の色があった。アーンルにアルファベットを教わる時間、農場を出て自由を掴んだ瞬間、マリーを愛したひと時、とある老婦人との山岳デート。毎日を慈しむように生きたエッガーの一生は、さまざまな彩りに満ちていた。

突き抜けるような空の青、何もかも飲み込んでしまいそうな雪の白、春の訪れと共に生い茂る緑。エッガーが生きたアルプスの山並みもまた、観る者の心に穏やかな痕を残す。

総じて淡々とした映画である。だからこそノイズが少なく、時代の変容に伴う出来事を外側から眺められた。圧倒的な没入感がもたらす高揚とは真逆の、ゆるやかな沈静と終息。それは静寂の中でこそ見つけられる感覚で、エッガーが最期に見た走馬灯とも重なる。

「人はどこでだって幸せになれる」

作中でもっとも心惹かれた台詞である。不幸は幸福のスパイスにはなり得ない。不幸は少ないに越したことはないし、悲しみを乗り越えたぶんだけ強くなれるなんて嘘っぱちだ。それでも、どんな人でも、どんな場所でも、人は幸せになれるのだと、そう信じたい気持ちがどこかにある。エッガーの生涯は、祈りにも似た私の願いを静かに肯定してくれた。

悲しみも、孤独も、愛も、幸せも、丸ごと否定せず受け入れる。懐の深い作品を鑑賞した夜、電車に揺られながら自分の人生について考えた。色とりどりの人生を、この先も生き抜こう。気負わずにそう思えたのは、少年が老いるまでの「ある一生」に触れたからにほかならない。

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■ある一生(原題:Ein Ganzes Leben、英題:A Whole Life)
監督:ハンス・シュタインビッヒラー
原作:ローベルト・ゼーターラー『ある一生』
脚本:ウルリッヒ・リマー
撮影:アルミン・フランゼン
編集:ウエリ・クリステン
美術:ユレク・カットナー
音楽:マシアス・ウェバー
出演:シュテファン・ゴルスキー、アウグスト・ツィルナー、イヴァン・グスタフィク、ユリア・フランツ・リヒター、マリアンネ・ゼーゲブレヒト、アンドレアス・ルストほか
配給:アットエンタテインメント
公式サイト:https://awholelife-movie.com/

(イラスト:水彩作家yukko

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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729