二人の結婚生活は、穏やかで満ち足りたものであった。エッガーは家族を養うため、危険を伴う重労働を必死でこなし、マリーもまた、彼を実直に愛した。感情表現が控えめなマリーが時折見せるはにかんだような笑顔は、彼らの等身大の暮らしにしっくりと馴染んだ。
幸福の絶頂、この幸せが末永く続いてほしいと願わずにはいられなかった。だが、エッガーはまたしても絶望の谷に突き落とされる。
「死からは逃れられない」
エッガーが農場を出てほどなくして出会った、ヤギ飼いの老人の言葉である。
人の生き死には、人智の預かり知らぬところで決められている。「死にたくない」と必死に願う人の命が簡単に奪われる一方で、死を切望する人が死ねるわけではない。当たり前にくると思っていた明日が呆気なく閉ざされた時、その人の大切な人もまた、すべての希望を根こそぎ奪われる。
絶望の淵で足掻く最中、エッガーは第二次世界大戦の渦中に自ら身を投じた。ナチスの熱狂に感化されてか、大切な人を失った喪失感から自暴自棄になっていたためか、どちらかは判然としない。エッガーはこれまで、農場主に折られた足の不調が原因で兵役を逃れていた。しかし、戦禍の激しさが増したこともあり、彼の技術職の腕は「有能」と判断され、エッガーは望み通り戦地へと赴くこととなる。
寒さに震え、飢えに喘ぎ、それでも「お国のため」と身を削り続ける若者が賞賛された時代、その異様さに気付ける人間が果たして何人いたのだろう。ソ連軍の捕虜となりながらもエッガーが生きながらえたのは、単に運が良かったに過ぎない。
現実においては、彼と同じ状況下で凍死した者、餓死した者、射殺された者が大勢いた。映画では直接的に描かれていないそれらの側面を、否が応でも想起させる。本作には、そういう力があった。