2024年上半期映画に見る、子どもへの愛情の行方

「あんのこと」皮肉な母性

21歳の杏は、10代半ばから母親のすすめで売春をし、客から強要されたことをきっかけに薬物依存症になってしまった。変わり者だが熱心な刑事の多々羅が杏の支えとなり、薬を断ち人生を立て直そうとする。

実家を出てシェルターに引っ越した矢先、多々羅が薬物更生者の自助グループの女性に不適切な関係を強いた容疑で逮捕されてしまう。

実際の事件をもとに、杏の壮絶な人生を描く今作は、母と子の関係が大きな軸になっている。それは、杏にとっての断ち切れない母親の存在と、赤ん坊の母代わりになったときの杏の変化が物語っている。

母親の暴力に耐えて言いなりになってきた杏だが、母親を憎むことはできなかった。そのことは、泥酔した男を連れて帰宅した母親を見て、怪訝そうにしていた杏が、母親に触れようとする男にやめさせようとする仕草から垣間見える。純粋な親子愛ではない情のようなものだといえるが、母を見捨てられない思いがあったのだろう。

多々羅の逮捕によって、杏は孤独に打ちのめされる。そんな中、シェルターの隣人に幼い男の子の世話を押し付けられてしまう。そして、思いがけず母代わりになった杏は、必死に子育てする中で楽しみを見出していく。

母親によって地獄の底に落とされた幼少期の杏が、母になることで誰かのために生きる希望を得たのだ。皮肉だが、母性が人生を救うことを示していた。

まとめ

紹介した4作品は、国は違えど子どもの存在が大きな鍵をにぎった優れた作品だ。
子どもは親を選べない、そして良くも悪くも親の影響を受けずにいられない。

2023年の日本における合計特殊出生率が1.22となり、測定が開始された1947年以降過去最低を記録したと先日報じられた。

中でも東京都の数値は0.99。1.0にさえ満たないのは衝撃的だが、当然ともいえる結果だ。

未来の日本経済を考えると、人口減少は望ましくないが「あんのこと」のような現実を鑑みると、生まれてくる子どもたちに対して、大人たちは責任を果たせているのか疑わしい。

こんな社会なら、生まれてこない方が良いのかもしれない。あまりに大人は無責任で希望を見つけるのが難しい世の中だからだ。

だが、杏が子育ての中で喜びを見つけたように、コットが実の家庭以外で自分の居場所を見つけたように、この荒んだ世の中にも生きる希望は存在する。

大人たちの欲や傲慢さにあふれたこの社会を、私一人の手で変えることなどできないが、諦めずに声をあげ続けることはできる。また、身近で苦しむ子どもたちがいないか目を光らせることだってできる。映画を通して、身近にいる子どもたちへの静かな使命を心に宿した2024年の上半期だった。

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S H A R E
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1988年長崎県出身。2011年関西大政策創造学部卒業。18年からサンドシアター代表として、東京都中野区を拠点に映画と食をテーマにした映画イベントを開催。「カランコエの花」「フランシス・ハ」などを上映。映画サイトCinemarcheにてコラム「山田あゆみのあしたも映画日和」連載。好きな映画ジャンルはヒューマンドラマやラブロマンス映画。映画を見る楽しみや感動をたくさんの人と共有すべく、SNS等で精力的に情報発信中。