2024年上半期に上映された映画を振り返る中で、子どもが登場する秀逸な作品が多いことに気づいた。子どもたちが大人の犠牲となり追いつめられる境遇に思いをめぐらせて、鑑賞後にやりきれなさや切なさが溢れる余韻を何度も味わったのだ。
中でも、「コット、はじまりの夏」、「落下の解剖学」、「システム・クラッシャー」、「あんのこと」の4作品について解説していきたい。
「コット、はじまりの夏」コットが見つけた居場所
1981年アイルランドの田舎町。大家族のもとで、親の愛情を十分に受けずに暮らす少女コットが、夏休みの間、親戚夫婦のアイリンとショーンのもとに預けられる。豊かな自然の中、2人から繊細な愛情を受け、引っ込み思案だったコットはのびやかに成長していく。
アイリンから丁寧に髪をとかしてもらい、キッチンで並んで料理の支度をするなど、静かな生活を送る中で、コットはアイリンを信頼しその優しさに身をゆだねるようになる。
ショーンは過去のある出来事から、はじめはコットのことを受け入れようとしなかった。しかし、牛舎の掃除や子牛の世話等同じ時を過ごす中で、次第に心を通わせるようになる。
そんなショーンが、コットに言った台詞が印象的だ。「何も言わなくていい。沈黙は悪くない。たくさんの人が沈黙の機会を逃し、多くのものを失ってきた」。その台詞と同様、本作は多くを語らずに、巧みな演出でコットの置かれた状況を描き出す。
コットの父親が暴力を振るうなど横暴な様子を映しているわけではない。しかし、コットを含め3人の姉たちは皆、父親が現れると口をつぐみ委縮する。
母親は、家計を顧みず賭け事や酒に興じる夫に嫌気がさしながらも、生活が苦しい中で娘たちを生み育てている。母親の登場シーンは少ないが、コットの「ママはこう言ってた」という何気ない台詞に彼女の意思が描かれていた。
この家庭は、無責任な父親1人に対して、無力に囚われている5人の女性たちという構図にも見える。母親は望んで出産しているわけではないかもしれない。新たに生まれたのが男児だったのは、この家庭に、父親に対抗することができる新たな存在が出現したという女性たちの希望と捉えることができるかもしれない。
その希望を後押しするかのようにコットは、最後に自分の居場所を守るため、思いきった行動に出る。彼女が最後に呼んだのは、自分で選んだ大切な存在だった。
子どもは親を選べない。だが、生き方は選んでいいはずだ。そう願ってやまない感動的なラストシーンとなっている。