【関心領域】世界を隔てているものは

緻密な設計の根底にあるもの

ナチス・ドイツは第二次世界大戦中に、国家を挙げて人種差別による絶滅政策(ホロコースト)を推進した。その際に、最大級の犠牲者を出したのがアウシュビッツ強制収容所である。収容者の90%はユダヤ人であり、(政治犯、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、これらを匿った者なども収容された)、最も多いときは14万人が収容された。劣悪な住環境の中で強制労働に従事させられ、人体実験が行われることもあった。次々に運ばれてくる収容者を効率的に処理するために毒ガスが使用され、大量の死体は無差別に焼却炉で焼かれた。戦後、明らかになった犠牲者の数は110万人と推計されている(諸説ある)。

この収容所に勤務している職員約6千人のトップ、所長であるルドルフ・ヘスは妻ヘートヴィヒと4人の子どもとともに、収容所の隣、壁一枚隔てたところにある豪邸に暮らしている。広大な庭。温室。庭師が手入れする花壇と家庭菜園。家の手入れと、乳幼児の世話をする数人の家政婦。休日には近くの川にピクニックに行き、水遊びをして、ベリーを摘む。帰りの車の中でケンカする子どもたち。ルドルフの誕生日には、家族みんなでお祝いをする。ヘートヴィヒは、ルドルフに仕事が落ち着いたらまたイタリアのスパに連れて行ってほしいと頼む。思い出話で盛り上がり、2人で大笑いする。ある家族のささやかな暮らしが、トイカメラで撮影したようなレトロな色使いの映像で描かれる。

ただ、穏やかではあるが、静かではないのだ。音が聴こえる。ヘス一家の暮らしがスクリーンに映し出されるとき、映像に明らかにそぐわない音がずっと鳴っている。最初は何の音か判然としない。機械が動くような音。違和感のある低音。そのうちに、人の声や銃声のようなものが聴こえ始めて、それが何の音なのかがわかる。怒号、悲鳴、子どもの泣き声、地面を踏み鳴らす音、懇願、叫び声、収容者を運ぶための機関車の音、燃やす音。壁の向こうから、ありとあらゆる音が聴こえてくる。

スクリーンに映し出される暮らしと音。それらが、緻密に計算されて作られている。この作品が着想や設定だけで作られているわけではないことが、映像を通じて伝わってくる。

実際に、ジョナサン・グレイザー監督は、本作品の製作に10年をかけている。アウシュヴィッツを何度も訪問し、撮影もアウシュビッツ収容所の隣で行った。アウシュヴィッツ博物館やその他の組織と協力し、公文書館にアクセスする特別許可を得て、生存者やヘス家で働いていた人々の証言を集めて、人物を作り上げた。ヘス夫妻についての調査には2年間も費やしている。一方で、そこまで入念に調査をしたにもかかわらず、史実をリアルに再現するようなアプローチで映像が作られていない。再現映像やドキュメンタリーのようには全く見えないように映像が作られている。「最近作られたフィクションの作品」として、観客として、距離を取って観ることができるようになっている。

こうした綿密さ、細やかさを観る側はすっと受け取ることができる。同時に、それらが現代に生きる観客にホロコーストという過去を感情的に消費させずに、この作品のメッセージを正面から受け取るために必要だったのだということも。その背景には、リスペクトや責任感、配慮が幾重にも積み重なっていることも、わかる。テーマ設定や映像、音響設計の巧みさではなく、作り手の想い、信念が本作品の強度を高めている。それがスクリーンを通して確かに伝わってくる。

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S H A R E
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1984年生まれ。兼業主夫。小学校と保育園に行かない2人の息子と暮らしながら、個人事業主として「法人向け業務支援」と「個人向け生活支援」という2つの事業をやってます。誰か仕事をください!