──木村くんが好き。
最後の叫びは、綿子の2回目の産声に聴こえた。木村の父に関係を気づかれ、木村の妻から糾弾され、文則に責め抜かれ、そうしてようやく綿子は、自分自身の声を再発見した。いま自分が愛しているのは、そばにいたいと思っているのは、それなのに逃げてしまって謝りたいと思っているのは、いちばん大切なのは、木村なのだと。
裏切られても綿子が好きだと縋る文則を、綿子は捨てる。文則の妻でなくなり、木村の恋人でなくなった綿子は、ようやく綿子自身に戻れたのかもしれない。
編み物は基本的に、1本の糸を編んでひとつの作品を作る。1玉終われば次の玉の糸を結びつけ、長い長い1本の糸を複雑に交差させる。綿子はこれまで、ところどころ目を落としたり、表目と裏目を間違えたり、でもそれらすべて見えないふりをして、強引に編み進めてきた。糸が切れたらまた次の糸を結び、そうやって体裁を取り繕ってきたのだ。そして「ほつれた」。木村の死によって、ぷつりと糸が切れてしまった。糸が切れれば穴は広がる。穴を塞ぐためには、編み上げたものをいったんその地点まで解かなければいけない。そしてもういちど編み上げるよりほかに、解決法はない。ひどく面倒で、億劫な作業だ。だけどだれしもが、いずれ取り組まねばならないときに直面する。生きていれば必ず、その瞬間はやってくる。望むと望まざるとに関わらず。
無責任で逃げてばかりで、向き合うことさえしないで、知らんぷりを決め込む綿子を、ぼくは嫌いになれなかった。たぶんそれは、ぼくも目を落としたり、表目と裏目を間違えたのに気づいていながら、強引に編み上げてきてしまったから。解いて編み直す、その体力も気力も根性もないままに、ここまで来てしまったから。
いつかきっと、ぼくも「ほつれる」。たとえば夫と結婚を決めた理由。暴力を振るう父から法律的に逃げる手段として、結婚がいちばん手っ取り早かった。5年前のぼくにとっては、少なくともそれしか方法がなかった。そういう物事と向き合う覚悟を、きっとどこかで決めなければいけない。ときどき「恋人ほしいなあ」と胸中で呟いてはぎくりとする日常が、いつまでも平穏であるはずがないのだから。本当に大切にしたいと思うものを大切にするには、それしかないのだから。
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■ほつれる
監督:加藤拓也
脚本:加藤拓也
撮影:中島唱太
照明:髙井大樹
録音:加藤大和、加唐学
美術:宮守由衣
装飾:前屋敷恵介
編集:日下部元孝、シルヴィー・ラジェ
スタイリスト:髙木阿友子
ヘアメイク:近藤美香
助監督:鹿川裕史
製作担当:奥田順一
音楽:石橋英子
出演:門脇麦、田村健太郎、黒木華、古舘寛治、安藤聖、佐藤ケイ、金子岳憲、秋元龍太朗、安川まり、染谷将太ほか
配給:ビターズ・エンド
公式サイト:https://bitters.co.jp/hotsureru/
(イラスト:水彩作家yukko)