【福田村事件】「差別」が「正義」にすり替わり、言論が人命を奪った。根拠なきヘイト発言がもたらした悲劇を繰り返さないために、私たちが今知るべきこと

この世界に、奪っていい命などない。沼部の叫びから考える、無意識下にある差別意識の恐ろしさ

殺気立つ村の雰囲気がおさまらぬ中、沼部率いる薬売りの行商団は、船に乗って移動すべく川べりを目指していた。沼部が船頭と船賃の交渉にあたるも、船の規模と行商団の貨物量の折り合いが合わず、話し合いは難航し、ついに言い争いがはじまった。先に述べたように、沼部は香川県の出身である。そのため、彼の独特の方言に眉をひそめた村の者が言った。

「こいつら、鮮人(朝鮮人に対する侮辱的な呼び方)じゃねぇのか」

その一言が、引き金だった。疑念を持った村人が打鐘を鳴らし、村人は一斉に行商団を取り囲んだ。その後、一行が日本人であることを証明する書類を沼部が差し出し、役人が「確認を終えるまで、この人たちに手を出さぬよう」と村人に言い含めて場を去った。しかし、役人が戻ってくるまでの間、村人たちは口々に彼らを責め立て、「朝鮮人に違いない」と囃し立てた。

真っ先に彼らを庇ったのは、澤田夫妻だった。智一は、「この人たちから薬を買った。この人たちは日本人だ」と明言した。危険を省みない彼の行動には、ある理由があった。

1919年4月15日、京畿道華城市の提岩里の教会で、大勢の朝鮮人たちが教会に閉じ込められて殺される事件が起きた。のちに「提岩里虐殺事件」と呼ばれる現場に、智一は通訳として呼ばれていた。智一が頑なに心を閉ざしていた原因は、ここにあった。〈朝鮮で生きるからには、朝鮮語を学ぶべきだ。〉そう思い、必死に学んだ朝鮮語を、彼は「朝鮮人を殺すため」に使った。朝鮮人たちが殺されるのを目の当たりにしながら、彼は「ただ見ていただけ」だった。だからこそ、同じ過ちを繰り返したくない。そんな夫の心情を目の当たりにした妻の静子も、共に行商一行を庇った。

だが、この場面で私は大きな違和感を覚えた。沼部たちを庇う人も、反対に殺そうとする人も、みんな論点が同じなのだ。彼らが「日本人」か、「朝鮮人」か。ただその一点のみが、沼部たちの生死を分ける。そのことに誰も疑念を抱いていない空気に、比喩ではなく吐き気をもよおした。そんな折、じっと無言を貫いていた沼部が立ち上がって叫んだ。

「朝鮮人だったら殺してもええんか!」

いつの時代も、正しいことを言う人から真っ先に排除される。沼部は、叫んだ直後に撲殺された。殺したのは、夫が東京で「朝鮮人に殺されたかもしれない」と不安を抱いていた女性だった。その女性には、まだ幼い赤子がいた。

一度破られた緊迫は、あっという間に狂気に飲み込まれた。体中を突き刺されて死んだ青年は、「俺は何のために生まれてきたんだ」と死の間際に呟いた。背中に赤子をおぶった母親は、「この子だけは」と懇願した。だが、村人は容赦なく子どもの命を奪った。「あんたら全員、鬼だ!」と叫んだ母親も、即座に殺され川に流された。

関東大震災の後に起きた朝鮮人・中国人の虐殺事件の犠牲者は、総勢6,000人以上といわれている。また、今回映画化された「福田村事件」のほか、千葉県の検見川で沖縄、三重、秋田出身の3人が虐殺された「検見川事件」も起きている。この件に関しても、方言の違いや地方出身者への差別意識に加えて、根本に「朝鮮人への差別」があったことは言うまでもない。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729