【福田村事件】「差別」が「正義」にすり替わり、言論が人命を奪った。根拠なきヘイト発言がもたらした悲劇を繰り返さないために、私たちが今知るべきこと

osanai 福田村事件

1923年9月1日、関東地方を突如襲った関東大震災。多くの人々が傷つき命を失い、流言飛語が飛び交うことに。人々が混乱に陥る中で、千葉県の福田村にも虚偽の噂がもたらされて──。
100年前の実話をもとに、社会派ドキュメンタリー作品を数多く手掛けてきた森達也が自身初の劇映画作品を制作。主演は井浦新。田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、柄本明らがキャストとして参加している。

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差別の心を持たない人間など、この世にいない。私は、そう思っている。どんな人の心の中にも、差別意識は存在する。もっとも恐ろしいのは、差別そのものではない。手前勝手な「差別」を正当化し、言葉巧みに「正義」の顔にすり替えてしまう世間の風潮である。

「福田村事件」──関東大震災の直後に蔓延した流言飛語が原因で、香川県から訪れた薬の行商一行15人のうち10人が殺害された。この事件も、「差別」が「正義」にすり替えられた結果、起きた惨劇といえよう。関東大震災・福田村事件から100年の節目を迎えた今年、「福田村事件」が映画化された。本作を通して、私はこれまで表面的にしか知らなかった歴史の闇と、暴徒化した人間の恐ろしさを目の当たりにすることとなった。

同和問題(部落差別)の歴史。人の存在価値や処遇を、出自によって色分けする悪しき差別と排斥が横行した時代

物語は、とある夫婦が電車に揺られる場面からはじまる。夫の名は、澤田智一。教師を務めていた日本統治下の京城を離れ、故郷の福田村に帰る道中だった。朗らかな妻・静子とは真反対に、暗い影を背負う智一の眼差しが印象的である。澤田夫妻の真向かいには、シベリアから遺骨となって帰ってきた夫を抱えた咲江が座っていた。小さな白い骨壷に収まった夫の死を、「名誉ある戦死」と思いたい咲江の前で、智一は窓の向こうを眺めながら、淀みない口調で言う。

「戦争に、“いい戦争”なんてない」

その言葉は、咲江に向けたものというより、己自身に向けた戒めのようであった。

故郷で村長を務める旧友の龍一と再会した智一は、「この村で教師をやってほしい」と頼まれるも、「自分にはもう教師はできない」と断り、百姓としての生活を選ぶ。智一は、誰にも心を開かないまま黙々と畑を耕し続けた。妻の静子にさえ心を閉ざす智一の態度は、やがて夫婦の間に深い溝を生み出す。

澤田夫妻が帰郷した頃と時を同じくして、“沼部新助”率いる薬売りの行商団は、関東地方で商いをするため、故郷の香川県を出発した。この行商の一行は、被差別部落の出身であった。

穢多えたは死ぬまで穢多。穢多の子どもも穢多」

行商の一人が放ったこの言葉には、どこまでも救いがない。だが、これは日本に実在した「同和問題(部落差別)」と呼ばれる悪しき差別と排斥の歴史である。「穢多非人」という言葉を、多くの人が耳にしたことがあるだろう。「穢多は人に非ず」──同種の生き物である人間を出自や職業により色分けし、存在価値や処遇に上下をつける。それは、「区別」ではない。まごうことなき「差別」だ。

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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729