北九州の定時制高校で教頭を務める末永周平。ある日、記憶が薄れていく症状を自覚し、家族や友人との関わり方や人生の意味を問い直すことを決意する。
主演を務めるのは光石研。監督・脚本を務めた二ノ宮隆太郎は、光石研を取材し、脚本のアテ書きを行なっている。撮影は、「ドライブ・マイ・カー」の四宮秀俊。
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年齢を重ねて、自分の人生や自分自身とも馴れ合いになってしまった。そんな人にとっては身につまされ、でも、ちょっと励まされる作品だ。
主人公の末永周平は定時制高校の教頭。定年まであと1年だが、記憶が薄れる症状が出てきて途方に暮れる。行きつけの定食屋で代金を払い忘れて、店員で元教え子の南にだけは病を打ち明けるが、他の誰にも話せない。
人生の危機に直面して、これまでの人間関係を見直そうと決意。コミュニケーションがなくなっていた一人娘に仕事や恋人のことを聞くが、気味悪がられる。仲の冷え切った妻にもいきなり抱きついて、激しく拒絶される。長年疎遠になっていた幼なじみを訪ねて旧交を温めるものの、病を隠した煮え切らない態度が相手を怒らせて口論になる。
周平の空回りぶりがおかしい。特に娘とのやり取りなぞ、あまりにリアルで場内爆笑。同情しつつも思わず吹き出してしまう。
かかりつけの医師に「娘といっても他人。期待したらダメ」と語る周平。かつて娘に勉強しろとガミガミ言い過ぎて、勉強嫌いにさせた経験からだ。笑いながら話す顔にはどこか諦念が漂う。
彼は、人と真剣に向き合ってこなかったのである。顕著なのは妻との関係だ。お互い過去に浮気していたようなのだが(どうやら周平の方が先に)、見て見ぬ振りをしてやり過ごしてきたらしい。
人と向き合えないということは、自分とも向き合えないということだ。周平は妻子に学校を辞めると宣言したものの、娘から「何かやりたいことがあるの?」と聞かれて返事に窮する。必死で二人に気持ちを伝えようとすればするほど、支離滅裂になる。妻から「あんたって、こんな人やったの?」と呆れられ、「こんな人やったみたい」と情けなく答える。自分で、自分が分からなくなっているのだ。