似ているからこそ、直視できなかった
もう1つの理由は、ユリヤと私が「本当は」とてもよく似ていたこと。表面的な性格や選択、行動は大きく違うけれど、深い部分では共感する部分がたくさんある。何もかもうまくいかない。八方ふさがりで、もうわかんない!と逃げ出したくなるような気持ち。そんなぐちゃぐちゃした感情には、心当たりがありすぎる。本当は最初から共感できていたのに、うまくいかない彼女の人生が、まるで自分のことのように思えて直視しきれなかったのだ。
恋人のアクセルから「君はいったい、何を待っているの?」と言われるシーンは、苦しくなった。アクセル、あまりに直球すぎるよ……。何者でもない自分を認められなくて、ここではないどこかに行きたい。でも、どこに行こうとしているのかは、自分にも見えていない。その気持ちは、よくわかる。
また、何をしても満たされず、つねに不安を感じているような彼女の表情も観ていて苦しかった。自分に素直に生きていたって、失敗ばかりだし、結局たいして満たされない。
それでも、決して立ち止まらないユリヤは、めちゃくちゃかっこいいと思う。たくさんの失敗や後悔、恥ずかしさを積み重ねたうえに、ほんのすこしの幸せが乗っかる。リアルなハッピーは、すこしビターなのかもしれない。
わからない、という贅沢は、人生にも
はじめは、「わからない」作品だった。頭で理解できない、という意味ではなく、直感的に共感できない、作品に没入できない、という意味で。
けれども、時間が経つにつれ、自分の中でジワジワと発酵されたようだ。徐々に思考がクリアになり、「わからない」感覚は解消されていった。そして、観た直後よりも、一週間後のほうが、作品を好きになっていた。
このジワジワ感は、たまらなく心地よかった。あぁ、映画を楽しむってこういうことなのかも。直感的に好き!と思ったり、共感したりできなくたって、感想をすぐに言葉にできなくたっていいんだ、と思った。私にとっては、作品の内容はもちろんのこと、鑑賞体験自体にも学ぶものが多い作品だった。
また、「わからない」ということを楽しむ贅沢は、映画に限った話ではない。人生だってそうだ。本作のテーマとも関連する部分があるだろう。
人生は、わからないことだらけだ。しかも、やり直しはきかない。絶対の正解なんてないし、勇気を出して選択しても、失敗することもある。時には逃げたくなる時だってある。そんな時の自分は、たしかに最悪。でも第三者から見れば、あるいは何年か先の自分が見れば、それもまた人生における、ちょっぴりビターな贅沢なのかもしれない。
以上が、本作を観て感じたこと。でも、これは、あくまで私の場合だ。しかも、また時が経って考えが変わることもあるかもしれない。 SNSでも、実にいろいろな感想があった。観る人のそれまでの人生によって、感じるものが大きく変わる作品のように思う。「あなたの場合は、どうだった?」「あなたの中のユリヤな部分はどこ?」親しい友人と話し合ったなら、きっと楽しい時間になる。私も、新たな「わかる」を見つけてみたい。
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■わたしは最悪。(原題:The Worst Person in the World)
監督:ヨアキム・トリアー
脚本:エスキル・フォクト
編集:オリヴィエ・ブッゲ・クエット
プロダクションデザイン:ロジャー・ローゼンバーグ
音楽:オラ・フロットゥム
撮影:カスパー・トゥクセン DFF
衣装:エレン・ダーリ・ヤステヘーデ
出演:レテーナ・レインスヴェ、アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ハーバート・ノードラム、ハンス・オラフ・ブレンネル、マリア・グラツィア・ディ・メオ、マリアンヌ・クローグほか
配給:ギャガ
(イラスト:Yuri Sung Illustration)