【マイスモールランド】無知に気づいた、身近で起きる戦い

マイスモールランド osanai

クルド人の家族とともに故郷を離れ、幼少期から日本で育った17歳の少女・サーリャ。普通の高校生を送っていた彼女だが、難民申請が不認定となり在留資格を失ったことで生活が一変する。日本における難民認定申請の問題点に、真正面から向き合う社会派ドラマだ。
監督は是枝裕和監督が率いる映像制作者集団「分福」に所属し、本作が商業映画デビューとなった川和田恵真。ViVi専属モデルとして活躍し、本作が俳優デビューとなる嵐莉菜が主人公のサーリャを演じている。

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これまで「難民」と聞くとアフリカや中東で起きている紛争によって、命を脅かされる人たちの姿を想像していた。

一方で、自分たちが平和に暮らしている日本で、故郷を離れて辿り着いた人たちが命の危機に晒されているとは知らなかった。

仕事を得ること、県外へ出かけること。どれも当たり前だと思っていたことがそうではない。その現実を教えてくれたのは、映画「マイスモールランド」だ。その描写から、自分の無知について突きつけられた。

主人公のサーリャは、日本の高校に通う17歳の少女だ。幼い頃に、家族とともに故郷を離れ、日本で生活してきた。日本語も堪能で、将来の夢は小学校の先生。

彼女のささやかな夢は、予告なく奪われてしまう。難民申請が不認定となり、在留資格を失ったからだ。不法就労と見做されてアルバイトもできず、大学への推薦要件も満たせない。

日本の難民受け入れが少ない事実(*1)は頭の片隅で知っていた。しかし、難民申請が不認定になった人たちが、平穏に暮らせない現実には衝撃を受けた。その苦しさは、物語の中だけであってほしいと願ってしまうほどである。

サーリャの父親が不法就労によって入管へ収容され、子どもたちだけでの生活を余儀なくされる。

彼らは罪を犯したわけではない。命の危険に晒されて日本へ逃れてきたのに、どうして平穏に生きることができないのか。

また、サーリャは難民申請が不認定になるまでも、クルド人というルーツと日本人と同様に生きてきた生活の間で揺れ動く。

その描写は、序盤から多くのシーンに散りばめられている。

その一つがバイト先の客から「外人さんなのに日本語が上手いね」「いつか国に帰るの?」と言葉をかけられるシーン。長年、自分が育ってきた世界は日本であるにもかかわらず、周りからは「外国人」という目線で見られ、いつかルーツである国に帰ると思われている。サーリャへそんな言葉をかけた客は親切心から言葉をかけたのだろう。全く悪意がないにも関わらず、在日外国人に抱くイメージが、彼らを傷つけているのではないかとドキリとしてしまう。

自宅に帰れば父親との会話でクルド人としての礼節、振る舞いを求められる。故郷を逃れなければいけない事情があった父親だからこそ、家族に対してルーツを大切にすることを求めるのは自然なことだ。

父親の想いは汲み取りたい。一方で、日本で育ってきた自分のアイデンティティも大切にしたい。ちょうど良く折り合いをつけられる居場所の在処を見出せずに困惑するサーリャの心境が伝わってくる。

映画の最後、この家族がどうなっていくのか決定的には描かれないが、結末について、川和田恵真監督は映画を観た人たちがそれぞれにどうなっていくか考えてほしくてこうした結末にしたと語っている。

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この映画を観た後、難民認定に関する報道を目にするたび「マイスモールランド」で描かれる世界に重ねてしまった。

日本で生きるクルド人たちが平穏な日常を送れるようになってもらいたい。その一方で、彼らが日々強いられる様々な戦いは、自分たちの無知によって作られているのかもしれない。

自分には知らないことが数多くあり、無知によって無自覚に誰かを傷つけているのだろう。そのすべてに気づくのは、とても難しいことかもしれない。

けれど、知らなかったことに出会った時、偏見を持たずに知ろうとする姿勢は常に持っていたい。

そうした気持ちが自分の心をじんわりと包んでいた。

<参考リンク>
*1:認定NPO法人難民支援協会|日本の難民認定はなぜ少ないか?-制度面の課題から

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■マイスモールランド
監督:川和田恵真
脚本:川和田恵真
音楽:ROTH BART BARON
エグゼクティブプロデューサー:濱田健二
プロデューサー:森重宏美、伴瀬萌
企画プロデューサー:北原栄治
共同プロデューサー:藤並英樹、澁谷悠、アントワーヌ・モラン
出演:嵐莉菜、奥平大兼、アラシ・カーフィザデー、リリ・カーフィザデー、リオン・カーフィザデー、藤井隆、池脇千鶴、サヘル・ローズ、平泉成ほか
配給:バンダイナムコアーツ

(イラスト:Yuri Sung Illustration

S H A R E
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走る文筆家。メディア運営や文章を書く仕事をしながら、市民ランナーとして走り続けています。