「大事な話があるの」と言い残して自由死を選んだ母・秋子。どうしても死の理由を知りたい朔也は、母のパーソナルデータを集めたVF(ヴァーチャル・フィギュア)の開発を依頼する。
「月」「舟を編む」の石井裕也が、平野啓一郎の『本心』を映画化。主人公の朔也を池松壮亮、母を田中裕子が演じている。
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身体感覚にくる、気持ち悪さ
真っ暗闇だった劇場に照明がともる。明るさに目が慣れても、身体が重たくて立ち上がる気がしなかった。どんどん席を離れるまわりの人たちを見て、慌ててなんとか立ち上がり、J列17番を後にした。
映画館を出ても、なんだかずっとうっすら気持ち悪い。なんだろう。ふわふわして、血の気が引くような。ちょうど貧血のときみたいな…。
と、さっきまで前にしていたスクリーンを思い出しながら、思考と身体感覚とのつながりを見出そうとする。あれ、と思い当たる。そうだ、血が足りなくて気持ち悪かったんだ…!
血が足りない
今回鑑賞したのは、平野 啓一郎氏の原作を映画化した作品「本心」。
主人公・朔也は、急逝した母・秋子の本心が知りたいという願いから、仮想空間上に人間を再生するVF(バーチャルフィギュア)というサービスを利用して母を蘇らせることを決意する。
昨今でさえリアルとヴァーチャルの境界は曖昧になりつつあるが、「本心」の舞台である2026〜2027年頃の世界では、その傾向はさらに加速していた。
ゴーグルひとつかければ、目の前の人間がリアルとヴァーチャル、どちらなのか判別できない。お金さえ出せば、リアル・アバターと呼ばれる生身の人間の身体をまるごと借りて、室内にいながらにして屋外の用事を済ませることができる。
テクノロジーが異常な速度で進化しつづけるなかで、ルール整備や倫理観の統一は間に合っておらず、まさに無法地帯。何がリアルで、何がヴァーチャルなのか、わからなくなってくる。
果たして、死者をAIとして蘇らせたとき、それは人間といえるのだろうか。そのとき、生きている私たちは何を得て、何を失うのだろうか。
人間とAIとのちがいのひとつに、血が通っているかどうか、ということがある。肉体はもちろん、心にも反映されるもの。情と言い換えてもいいかもしれないけれど、ヒト特有の温度のような、あたたかいもの。
作中には「血の通っていない、人間のかたちをした何か」がたくさん映っていた。その世界にぞわぞわとした心地の悪さを感じるうちに、私は心身ともに軽い貧血状態になってしまったように思う。