【ルノワール】成長譚にくるまれた孤独と空洞

空洞

僕は、フキと同い年の長男と、少し年下の次男と一緒に暮らしている。彼らは、よく笑い、よく怒り、よく嫌がり、よく喜び、たまに泣く。その目まぐるしさとわかりやすさは、生き物としての強さに由来していると思う。彼らは眩しい。その眩しさの側にいることは、疲れることでもあるけれど、でも、人が育っていく姿を間近で見れることは、幸せなことだと思っている。

日々の出来事に対して、周囲の人に対してフキが何を感じているのかが、僕にはずっとわからなかった。フキの表情からは感情が読み取れない。楽しいのか、怒っているのか、困っているのか、悲しいのか。友達と遊んでいるときも笑顔は少ない。キービジュアルで使われている、フキの印象的な笑顔は、船でパーティーをするという彼女の空想のシーンから切り取られたものだ。現実の笑顔ではない。逆に、父親ががんで亡くなった後に泣くこともない。悲しさや寂しさを表出させることもない。大事な人を亡くしたことの喪失感は描かれない。

彼女には、目まぐるしさとわかりやすさがない。かわりにあるのは空洞だ。彼女の内面に生まれた感情は、フキが自身の感情を自覚するよりも前に、その空洞に吸い込まれてしまう。彼女は、感情を表出しないのではなく、表出するものがないのだ。

彼女の中に空洞があるのは、彼女の言葉を聞いてくれる人が周囲にいなかったからだ。彼女に、話すということ、聞くということがどういうものなのか、どれだけ大事なものなのかを教えてくれる人がいなかったからだ。

フキは、抱え切れない感情や苦しさを、空洞に吸い込ませて処理するしかなかった。空洞を抱えたまま生きるしかなくなってしまった。僕には、そうとしか見えなかった。だから、彼女の空洞に気づかない登場人物の大人たちと、この物語を「大人と子供の間で揺れ動く少女の成長譚」として捉える大人たちが、あまりにも無責任に見えた。空洞を作り出したのはフキではなく、自分たちだということに対する自覚のなさに怒りを覚えたのだ。空洞を抱えたフキに必要だったのは、成長ではなく、彼女の側にいて、話を聞く、言葉を受けとる大人だったはずだ。

僕には、フキが孤独に見えた。フキの周りには、彼女が抱えている孤独や空洞に気づく大人はいなかった。大人たちは言葉を受けとることも、言葉をかけることもなかった。フキは自身の内面から湧き出る言葉や感情をどうにか処理するために、空洞を生み出さざるをえなかった。その状況を郷愁や少女の成長という要素でくるんでしまうことに、僕は拒否感に近い違和感を感じた。感じてしまった。

「そういう見方をする映画じゃない」という声が大半だろう。自分でもどうしてこんな斜に構えた見方をするのかと戸惑っている。僕の自己表現のための補助線として、この作品を消費するようなことはしたくない。言わなくていいことは言わなくていい。わかってる。

でも、僕の中に空洞はない。フキのように感情が吸い込まれることはないのだ。だから、こうして溢れ出てしまう。いいか悪いかはわからなくても、内側から湧いてくるものに突き動かされて一歩踏み出す。言わなくていいと思いながら、言いたいことを言う。それが生きていくということだと思っている僕には、11歳の少女の孤独と空洞はつらかった。

これから先、フキが満たされる存在や機会に出会うためには、彼女から溢れ出る何かを受けとる誰かが必要だ。その誰かに、僕やあなたがなるかもしれない。彼女の中に孤独と空洞を見つけて、「言わなくていいことでも、言いたければ言っていいんだよ」と声をかけるときが来るかもしれない。来るべきそのときに備えて、僕らは声を出すための勇気と言葉を受けとるための矜持を守り続けなければいけない。

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■ルノワール
監督:早川千絵
脚本:早川千絵
撮影:浦田秀穂
照明:常谷良男
編集:アン・クロッツ
録音技師:ダナ・ファルザネプール
美術:三ツ松けいこ
サウンドデザイン:フィリップ・グリベル
装飾:秋元早苗
衣装:宮本まさ江
ヘアメイク・デザイナー:橋本申二
音楽:レミ・ブーバル
エンディングテーマ:HONNE「LIFE_you only get one」
出演:鈴木唯、石田ひかり、リリー・フランキー、中島歩、河合優実、坂東龍汰、高梨琴乃ほか
配給:ハピネットファントム・スタジオ
公式サイト:https://happinet-phantom.com/renoir/

(イラスト:水彩作家yukko

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1984年生まれ。兼業主夫。小学校と保育園に行かない2人の息子と暮らしながら、個人事業主として「法人向け業務支援」と「個人向け生活支援」という2つの事業をやってます。誰か仕事をください!