【ルノワール】成長譚にくるまれた孤独と空洞

何も生まれない会話

フキは、学校の授業で、自分が書いた作文を朗読する。ある日見た夢の中で、フキは不審な男に首を絞められて殺される。その後に執り行われた葬儀の参列者が泣いているのを見て、彼女は思う。「死んだ人のために泣いているのか。それとも自分のために泣いているのか」。その前の作文では、「みなしごになってみたい」と書いていた。保護者面談で、先生からその話を聞かされた母親は、フキに言う。「先生ってひまな人ね」。

フキは、興味本位で伝言ダイヤル(伝言を残した相手と電話で直接やりとりできるサービス)を利用する。そこで親しくなった男性の大学生と会うことになり、できる限りのおしゃれをして家を出る。しかし、その大学生に自宅に連れ込まれ、身体を触られてしまう。同居している母親が突然帰ってきて、間一髪でそれ以上被害に遭わなくて済んだものの、フキはやさしく話を聞いてくれていた大学生の態度の急変に戸惑い、訳がわからないまま家に帰る。

フキは、通っている塾の先生に父親の死を伝える。外国籍の先生はショックを受け、フキを抱きしめながら「自分も中学生のときに父親を亡くしたから、あなたのことがよくわかるわ」と語りかける。何を言っているのか、どうしていいのかわからずに、戸惑うフキ。

フキは声を上げている。でも、その声を聞いた人たちは、誰もフキを理解しようとはしない。母親は、フキの声を聞いているだけで、彼女の感情に目を向けない。伝言ダイヤルで出会った大学生は、フキの声を聴きながら、彼女をどう消費するかをずっと考えている。英語の先生は、フキの声をかつての自分の声と重ねてしまい、目の前にいるフキが見えなくなっている。

話ややりとりをしても、そこから何か光るものやあたたかいものが生まれることはない。喜びのない、空虚な会話をすればするほど、言葉が届かないという実績が積み上がっていく。そして、フキの孤独は深まっていく。

この作品の中で、最もフキの孤独を象徴しているのは、フキが馬とやりとりをするシーンだと思う。遊びで馬の啼き声を練習していたフキは、偶然迷い込んだ競馬場のバックヤードで一頭の馬を見かける。啼き真似をしたフキの声を聴いた馬は啼き声を返す。人ではなく馬なら、言葉ではなく啼き声なら受けとってもらえる。応えてもらえる。通じ合うことを描いているのに孤独が際立つ描写は痛々しかった。もう十分だと思った。

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S H A R E
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1984年生まれ。兼業主夫。小学校と保育園に行かない2人の息子と暮らしながら、個人事業主として「法人向け業務支援」と「個人向け生活支援」という2つの事業をやってます。誰か仕事をください!