シカゴでトラブルを起こしたビルは、妹のリンダと恋人のアビーとともに広大な麦畑に流れ着く。麦刈りの仕事をしていると、やがて地主・チャックがアビーに結婚を申し出た。
自然光にこだわった本作を手掛けたのは映画監督のテレンス・マリック。撮影監督をネストール・アルメンドロスが務めた。主人公のビルをリチャード・ギアが演じている。
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「天国の日々」は、観客が感情移入できるほどの強いキャラクターがいるわけでも、壮大な物語があるわけでもない。しかも作中は1910年代と、100年以上前の時代設定で、現代とは大きくかけ離れている。
にも関わらず、国を超えて多くの人を魅了し、時を超えて4Kでレストアされる名作として知られている。
その理由は、本来映ってはいけない、映すことができない人間ならざるもの達が多く映っているからではなかろうか。
人間ならざるもの、と言っても幽霊やその類、あるいは映画冒頭に出てくる亡霊の如き人物たちといった、特殊な存在を指しているのではない。そうではなく、動物、イナゴそして小麦、空、雲、炎、汽車、洋服、稲刈り機など、どんな動物にも映っているもの達、あるいは今も変わらず私たちの日常にいるものを指している。
本作を語る上で外せないマジックアワーもその一つ。
本作が製作された1978年に人間である映画監督が到底コントロールできず、CGで補うこともできなかった人間ならざるもの達が、この映画の存在感を強くしていると感じる。
本作の監督テレンス・マリックはコントロールできもしない人間ならざるものを軽々と撮影してスクリーンに映すことで、本作の作為性や虚構性を払い除け、あたかもドキュメンタリーとして観客が受け入れられるように巧妙に仕組んだのではないか。
たとえば、映画冒頭でボロボロの作業着を着たリチャード・ギアが石炭を溶鉱炉に放り込む場面を見るだけで、映画の設定である1917年が映っていること、少なくとも2025年でもなければ製作年の1978年でも無い過去であることが分かる。それはリチャード・ギアの演技のためでは到底なく、ボロボロの作業着や石炭という人間ならざるものが、過去という時間と強く結びついているためではないか。