大学進学と同時に友達と二人暮らしを始めた早乙女カナコ。入学式で脚本家を目指す長津田と出会い、付き合うことになったのだが──。
柚木麻子の小説『早稲女、女、男』を矢崎仁司が映画化。主人公のカナコを橋本愛、恋人役となる長津田を中川大志が演じている。
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20年も昔に、過疎が進む小さな田舎町から東京のとある大学に進学した。地元では到底見ない数の知り合いができ、そのなかで誰かを理由もなく好きになったり、はたまた誰かから理由もなく好かれたりした。いつだって恋については自意識過剰で、手痛い失敗もたくさんした。
映画「早乙女カナコの場合は」がはらむ空気は、あの頃の青くて痛い自分を、懐かしく思い起こさせた。
恋の残酷さって「こんなに大好きな相手の替わりはどこにもいない」と自分の側が思っていても、相手にとっては「こいつの替わりなんて、いくらでもいる」と思われるあたりじゃないかなーと思う。
ほかでもない自分自身が「しょせん、取り替えられる」と、思われることはつらいものだ。
この映画は、早乙女カナコが大学に入学した春から始まる。カナコは、演劇サークル「チャリング・クロス」で脚本を書いている長津田啓士に、勧誘を受け、入部を決める。はじめは戸惑っていたカナコも、自由人・長津田の気さくな雰囲気によって、緊張が解け、笑顔を見せるようになる。二人の交際が始まった。
だが、脚本家志望のはずの長津田は、肝心の脚本を真面目に書かない。それどころか、卒業も就職もしないつもりだと豪語する口先だけのダメ男だった。象徴的だったのは、カナコがペアリングを買ってきた場面。かつて「俺がカナコに買う」と宣言した長津田は、完全にその約束を放棄していた。
大学を卒業して働きはじめたカナコと、大学に居座ったまま、学生の身分を謳歌し続ける長津田。二人の間には距離ができていき、仲違いの危機へと発展する。長津田にいつもくっついてまわる後輩女子、麻衣子も加わり、恋の糸はもつれっぱなしだ。
映画の展開を追いながら、ふと昔感じた疑問を思い出した。
学生時代から、すごくたくさんの人と知り合うなかで、不思議だったことがある。短いサイクルで付き合ったり別れたりを繰り返すカップルも多いなかで、ずっと一人の相手と付き合い続け、迷いなく結婚にこぎつけるカップルが、少なからずいた。
こんなに人にあふれた東京砂漠で、どうやったらお互いに「替えがきかない」と思える相手を見つけられるんだろう? ただ感心した。
私は、なかなかそういう相手は探せなかったから、ひどく羨ましくも感じた。「ほかの人に目すらいかない」「ほかの人と比べたりしない」ことができるのは、単純に徳が高い。