勉強はできた方がよい。
運動ができた方がよい。
コミュニケーションが取れた方が、、
背は高い方が、、スタイルは良い方が、、
字はきれいな方が、、絵がうまい方が、、、
何をそんなに求めてしまうのだろう。
どれが正解なんて、
本当は良くわからないのに。
個は個であって
それぞれ異なるから面白いのだ。
つい、大人側は先が見通せるので
いわゆる常識的な物差しで測ってしまい
個性を見つける前に
軌道修正を求めてしまうのかもしれない。
本当は赤血球になりたいのかもしれない。
だけれど今は自分の可能性に気づいていない。
赤血球としての素養が
将来的には爆発するかもしれないのに
大人はその成長を待てない。
勝手に比較して、勝手に優劣をつけている。
白血球の方が強くてかっこいいよ
キラーT細胞みたいに戦うのもステキだよ。
もっと頭脳派のヘルパーT細胞はどう?
誘導して無理やり白血球になろうとしても
本来は赤血球なのだから無理な話だなと
そういうことをぼんやりと考えながら子供と見ていた。
普段の自分のやや一方的な子育てを思い出して。
彼らは同じ世界で一緒に働く仲間。
それぞれ役割が違っていても優劣はなく
それぞれが存在していないと動かない社会。
一方で、
正常に成長して白血球になれず
癌化し、白血病細胞となったモノもいる。
排除すべきものとして、忌み嫌われる。
そしてなぜ自分を受け入れてくれないのと
白血球、キラーT細胞、NK細胞に迫る。
はたらく細胞で描かれる世界も
私たちの社会も同じなのかもしれない。
細胞たちの戦闘シーンが激しくて
それこそ流血の惨事で
子供が見るとちょっと怖いくらいの映像だったが
大人世代とすると
白血病細胞の心の痛みが兎角、刺さる。
なんで、僕だけ。
どうして、僕が。
普通にお兄ちゃんみたいな白血球になりたかっただけなのに。
この世界に生まれた瞬間から
本当はそれだけで幸せなのだ。
それなのに、
できること、できないことを区分され
勉強や運動などで順位がつき
時に集団になじめないとなれば
その集団から排除されることもある。