【ザ・ウォーク~少女アマル、8000キロの旅~】〜個々人の“戦争のその後”まで見る目を持つこと〜

アマルと共に旅をしているシリア難民の人形遣いは、「私の居場所は建物ではない、周りのひとびとだ」と語る。アマルの目を通じて見た世界から、彼はそう腹落ちしたのだろう。シリアと緊張状態にあるレバノン出身の相手とも、心を通い合わせることはできる。思い出は再び創ることができるし、この世は自分たちを排斥するひとばかりで溢れてはいない。居場所はもう一度、見つけられる。そういう希望を示すのがアマルの役割のひとつだ。

でも、それでも、希望を与える行為は、ともすれば残酷にもなり得るとぼくは思う。奪われたものは、取り戻せない。一から新たに創った思い出はたしかに尊いものだけど、元来持っていた──そして一生持ち続けるはずだった──それとは形も色も匂いも異なる。まったくの別物だ。

渦中にいるひとが死んだあとも、その子孫へと、脈々と受け継がれる苦しみがある。差別と排斥を乗り越える勇気は、それが無くなる未来への希望は、奪われた当人が死に物狂いで生き延びて、その先に見出さねばならぬものなのだろうか。

そもそも戦争を起こした特権階級の人間たちは、アマルの絵を引き裂いた女の子や、植民地支配の末に日本社会で生きているぼくのふるさとについて、考えたことがあるのだろうか。属する場所が無い、自分が何者なのかわからない底知れぬ不安を抱えたまま歩む人生について、想像したことがあるのだろうか。

問い詰めたところで、そのひとたちはきっと肩をすくめるだけだ。「大義のためには多少の犠牲も仕方ない」、そんな馬鹿げた台詞とともに。女の子の、ぼくのふるさとは、アイデンティティは、彼人らにとっては“多少の犠牲”に過ぎないのだ。

独裁政権を赦してはいけないし、歴史上の愚行を無かったことにしてはいけない。尊厳も、宗教も、尊ばねばならない。でもそれと等しく、個人の命も、ふるさとも、アイデンティティも、尊ばれるべきなんじゃないか。

犠牲にしていいだれかの“戦争のその後”なんて、ありはしない。“希望”を見出す努力を、各々に押し付けてはいけない。それを引き受けなければならないのは、本来は社会の側であるはずだ。

だからこそアマルは“希望”の象徴であるのと同時に、人道的悲劇の象徴でもあるのだろう。アマルの背が高いのは、どこまでも見通せる目を持つためだそうだ。戦争について考えるとき、いま・ここにある悲劇のみをクローズ・アップするだけではいけない。その後、未来の先の先のその先まで、思考し続けなければならないのだ。その責任の所在は、社会にあり、あなたにあり、ぼくにある。

アマルのような目を持つひとがこの世界に増えてくれれば、戦争のその後のその後のその後くらいを生きるふるさとを持たないぼくも、きっとほんの少し救われる。

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■ザ・ウォーク~少女アマル、8000キロの旅~(原題「The Walk」)
監督:タマラ・コテフスカ
撮影監督:ジャン・ダカールほか

(イラスト:水彩作家yukko

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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。