ローマ帝国から逃れて静かな暮らしを送っていたハンノは、アカシウス将軍が率いるローマ帝国軍の侵攻によって妻を失い、捕虜となる。奴隷商人マクリヌスとの出会いをきっかけに、ハンノは剣闘士「グラディエーター」として闘うことになった。
2000年公開「グラディエーター」の続編となる本作も、リドリー・スコットが監督を務める。主演は「aftersun/アフターサン」、「異人たち」のポール・メスカル。
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「ローマがこんな臭い街とは知らなかった」
「臭いのはハンノだ」
「私だって我慢してるんだ」
グラディエーターの彼らも匂いを嗅ぎ、冗談を言える人間なんだ、と思える微笑ましいシーンである。
そういえば、前作「グラディエーター」にも似たような描写があった。飲んだスープに毒が盛られていたかの如く悶え撃った芝居を打ち、それが真っ赤な嘘だとわかり笑いが生まれるシーンである。
グラディエーターは決して遠い過去の存在でも戦いの神でもなく、私たちと同じように匂いを嗅ぎ、元気に食べ、笑うことができる紛れもない人間なのである。
しかし、なぜスープの場面を忘れていたのだろう。なぜグラディエーターたちを神として、目に入る敵が倒れるまで剣を振り続ける超越的な存在として記憶していたのだろう。一方で、「グラディエーターⅡ」の主人公ハンノを演じるポール・メスカルは、私たち人間に近いように感じた。前作と今作で、リドリー・スコット監督が描くグラディエーターはまるで違うのではないだろうか。
この違いは、「グラディエーター」「グラディエーターⅡ」の山場と言える戦闘シーンにも現れている。
「グラディエーターⅡ」の初見の感想は、戦闘シーンが前作よりも地味だったな…ということ。ややダラっとした戦闘や、バレバレのCGは、前作の血湧き肉躍る戦闘には至らなかった。
しかし、前作を見直してみて、本当に驚いた。カット割が全く違うのだ。剣で相手を倒す動作を一つとっても
①やや引きのカメラで剣士の顔と振り上げられた剣が映るカット
②グッとアップで振り下ろされた剣と拳、相手の切り傷を映すカット
の2つ、あるいは3つ以上に分かれており、極端に時間が圧縮されている。つまり、①と②の間に存在する「剣が空中を舞い相手に向かって振り下ろされていく」描写を丸々カットすることで、あたかも超スピードで相手を斬り、さらにアップにすることで劇的な攻撃として描いている。これは「グラディエーターⅡ」のダラっとした印象、例えばヌミビア上陸戦にてポール・メスカルやペドロ・パスカルが、1カットの中で敵をバサバサと斬っていく戦闘、自らの剣を振り上げて相手に向かって振り下ろし、的に剣が当たり、相手が倒れ、次の敵へ向かう、カットとは全く異なる。