自分ではなくなること、あなたではなくなるということ
人から新生物への変化は、この社会で実際に起きている様々な変化のメタファーとして描かれているのだろう。
性自認や性的指向などセクシュアリティの変化、陰謀論や反ワクチン思想、カルト宗教など思想や信仰の変化、あるいはハンセン病や精神疾患のような病気や障害という変化のメタファーとして受け取ることもできるだろう。いずれも不可逆で、自分のアイデンティティを大きく変えてしまう変化だ。
僕は、認知症のメタファーとして受け取った。選んだわけではなく、そうとしか受け取れなかった。
エミールの身体の変化が怖かった。爪の下から、オオカミのような鋭い爪が生えてくる。背骨が盛り上がってくる。硬い体毛が全身に生えてくる。歯が抜ける。うまく歩けなくなり、自転車に乗れなくなる。食事が口に合わなくなっていく。夜中に出歩き、遠吠えをする。新生物への変化が、僕には老化に伴う変化に見えて仕方なかった。だから、本当に怖かった。
明らかに人間には見えないし、かといって動物にも見えない新生物のデザインの影響も大きかったように思う。作中では、タコ、カエル、鳥といった、さまざまなタイプの新生物が登場するが、いずれもグロテスクではあるのだが、どこか洗練された美しさのある造形だった。それが落ち着かなかった。人であったものが、人でなくなっていくことに対する、あの感情は恐怖よりもかなしみに近かったように思う。
さまざまな感情が渦巻く中で、「ネガティブな変化に戸惑いながらも、どうにか受け入れていくのが人生なのだ」という人生訓のような言葉は、もう使えないなと強く思った。これだけ劇的な変化を前に、受け入れるという言葉は簡単に使っていい言葉ではない。
当事者であるエミールの視点だけでなく、その側にいるフランソワの視点があるのもつらかった。
一緒に生きてきた妻と息子が、その人でなくなっていくのを、どうにかしたくても見ているしかない。森に逃げた妻を必死で探すフランソワ。傍目には一途な行動に見えるが、あるときに泣きながら本音をこぼす。「失うのも怖いけど、会うのも怖い」。つらすぎる。
それでも健気に森を探す彼の想いには心を動かされた。自分が同じ立場だったら、森に探しに行くだろうか。変化を受け入れて、受け入れたことにして「過ぎたことは過ぎたこととして、自分の人生を生きよう」なんて言うんじゃないだろうか。フランソワのように振る舞えないだろう自分のことを想像して、それもつらかった。
最終的に、新生物となった妻と子は深い森の中で、フランソワは人間社会で暮らすことになる。「揺らいでいた親子の関係性が安定し、次の段階に進んだのだ(巣立ったのだ)」という経糸の見方は、緯糸に絡め取られた僕にはしっくりこない。「自分が自分でいられなくなったら、あなたがあなたでいられなくなったら、自分とあなたは別れて生きていくしかない」という、身も蓋もない、現実的な結論にしか見えなかった。治療法がない、不可逆な変化をもたらす病気に2人は引き裂かれた。そのことがただただかなしかった。
この作品を映画館で観てから一週間が経った。上映中に感じた、恐怖とかなしさに浸っているような感覚は過去のものになり、こうして原稿で取り扱えるようになった。あと一週間も経てば、今この原稿を書いているときに手繰り寄せている、あのときの感覚もわからなくなってしまうだろう。そうやって、元に戻ること、目を逸らしている元の自分でいられることに心底安堵している。
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■動物界(原題:Le regne animal)
監督:トマ・カイエ
脚本:トマ・カイエ、ポリーヌ・ムニエ
撮影監督:ダヴィ・カイエ
編集:リリアン・コルベイユ
美術:ジュリア・ルメール
衣装:アリアン・ダウラット
音楽:アンドレア・ラースロ・ドゥ・シモーヌ
出演:ロマン・デュリス、ポール・キルシェ、アデル・エグザルコプロス、トム・メルシエ、ビリー・ブラン、サーディア・ベンタイブ、ナタリー・リシャールほか
配給:キノフィルムズ
公式サイト:https://animal-kingdom.jp/
(イラスト:水彩作家yukko)