しかし、まあ、どうだろう。
悲しいかな、SNS時代のフィルターバブルは、自分と真っ向から対立する意見は誹謗中傷と見做される。「自分に非があったらちゃんと謝ろうね」なんてことは小学生でも理解できるのに、大人にはそれができない。(こういった不毛なやり取りに、「子どもでも〜〜できる」みたいな言い方をするのは子どもに失礼ですね。ごめんなさい)
さて1,000字を超えたところで、映画「ロイヤルホテル」についても語ろうと思う。
「起業家には向いてない」と言い放てる人がこの映画を観たら、「いや、そもそも旅行中に散財するのが悪いじゃないか」「自分の身に危険が及びうる異国で、女性のふたり旅は相応の覚悟が必要だろう」みたいなことを言いかねない。
その言葉の背景には、「若い女性はバックパッカーなんてするもんじゃない」という意思が透けて見える。だいぶ言い古された喩えだが、「痴漢されるのは、女性側にも問題がある」という言い分と同じ。「痴漢されないようにするには、痴漢されないような格好をすべきだ」みたいな論調は、わりとまともだと思っていた大人だってしちゃうから、いくら言い古された喩えだとしても、その都度、「それって違うんじゃない」と異を唱えなくちゃいけない。少し大きな声で異を唱えると、「ビジネスでは怒った方が負け」なんて某クリエイティブ・ディレクターに水を差されてしまうのだけど、そもそもこういうの、勝ち負けの話じゃないから。
商売なんて所詮、ものを低い価格で仕入れて、付加価値をつけて高めに売って利鞘を得るという「やりとり」に過ぎない。世界中見渡せば、もう本当にうんざりするくらい理不尽なことが山ほどある。
能力が低くても、仮に資質がないとしても、ビジネスというエコシステムに主体的に参加する権利は誰にだってある。もちろんVCから投資を受けるならば、ステークホルダーに対しての説明責任は求められるだろう。でも、それがたとえ「リスク」だったとしても、本人が望み、そして目の前に機会があるのなら、性別問わずチャレンジする自由がある。それって、当たり前のことじゃないの?