【めくらやなぎと眠る女】蠅に肉を食い尽くされ、“空虚”になってしまったひとの存在について

小村に関わるひとびとは、物語の中でさまざまなメッセージを残す。小村のいとこはある映画の台詞を引用し、目に見えるものだけが必ずしも重要とは限らないのではと問う。札幌のラブホテルで小村と寝たシマオは、「あなたの中身については知らないけれど、あなたは素敵よ」と慰める。これらは立ち往生している小村を慮ってかけられたものではけっしてない。それでも、いや、それだからこそ、これらの言葉たちが小村の身体に沁み込んでいく。

かえるくんも、同じく片桐に寄り添うために肯定の言葉をかけているわけではない。かえるくんはみみずくんを倒し、来たる大地震から東京を守るために、片桐の力を必要としているだけだ。片桐を勇気づけたいだとか、自信を持たせたいだとか、救い上げたいだとか、そんなことはいっさい考えていない。ただかえるくん自身の目的を果たすのに片桐が不可欠というだけで、そのために片桐を鼓舞しているに過ぎない。ゆえにかえるくんの言葉は、嘘を含まない。ありのままの片桐を、これまでの彼の愚直な歩みを、まるごと肯定する。「なぜこんな自分が大それた問題に立ち向かう味方として選ばれるのかわからない」と戸惑い涙していた片桐も、かえるくんと協力してみみずくんを倒す決意を徐々に固めていく。

“めくらやなぎの花粉をつけた蝿は、耳から体内に侵入して女を眠らせる。そして女の肉を「むしゃむしゃ」と食べてしまう”──キョウコが作り出したイメージは一見すると荒唐無稽だが、映画を鑑賞し終えるとふしぎなほど腑に落ちる。遥か遠い昔、まだ中学生だったころに原作を読んだときも、同じ感覚を覚えた。中学生のぼくと、32歳のぼくが、時空を超えて重なる。

空虚さは、だれかとだれかのあいだのみで立ち上がるものにすぎない。小村とキョウコのあいだで、片桐と上司のあいだで、中学生のぼくと当時ぼくを虐めていたクラスメイトのあいだで。しかしだからといってそれが小村や、片桐や、中学生のぼくの、その存在自体が空虚だという証左にはなり得ない。だれかから見た小村や片桐やぼくはきっと虚ろでくだらない人生を歩んでいるけれど、だれかから見た小村や片桐やぼくはこのうえなく満ち足りていて幸福な人生を歩んでいる。どれも事実で、どれも事実ではない。蠅に肉を食らい尽くされたとて、それは一時的なものだ。心臓が動く限り血液は生み出されるし、骨肉は再生される。自分自身と、自分を愛してくれるひとだけは、そのことを知るだろう。

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■めくらやなぎと眠る女(原題:Saules Aveugles, Femme Endormie、英題:Blind Willow, Sleeping Woman)
監督:ピエール・フォルデス
原作:村上春樹『かえるくん、東京を救う』、『バースデイ・ガール』、『かいつぶり』、『ねじまき鳥と火曜日の女たち』、『UFOが釧路に降りる』、『めくらやなぎと、眠る女』
脚本:ピエール・フォルデス
日本語版演出:深田晃司
翻訳協力:柴田元幸
音響監督:臼井勝
出演(日本語キャスト):磯村勇斗、玄理、塚本晋也、古舘寛治、木竜麻生、川島鈴遥、梅谷祐成、岩瀬亮、内田慈、戸井勝海、平田満、柄本明ほか
配給:ユーロスペース、インターフィルム、ニューディアー、レプロエンタテインメント
公式サイト:http://www.eurospace.co.jp/BWSW/

(イラスト:水彩作家yukko

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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。