ガラスケースの中の物語
アンゼルム・キーファーは1945年にドイツで生まれ、ユダヤ人のシャガールとは別の立場から、ドイツ人という自らのアイデンティティに向き合い続けてきたアーティストだ。そして、同じ1945年にドイツで生まれ、自らは「自分の国から逃げた」と語るヴィム・ヴェンダース監督が、2年の歳月をかけて「アンゼルム」を撮った。
映画を見る1週間前、表参道のFergus McCaffrey Tokyoで開催されていたキーファーの個展「Opus Magnum」に足を運んだ。日本で彼の作品を見るのは容易ではない。軽井沢のセゾン現代美術館(休館中)や豊田美術館に作品は収蔵されているが、日本で大規模回顧展が開かれたのは1993年で、京都国立近代美術館、セゾン美術館、広島市現代美術館を巡回したという。その当時、私は9歳だ。
ギャラリーの中にはいくつものガラスケースが並び、それぞれの中に物語が詰まっていた。
「画家のパレット」と名付けられたケースには、パレットと水彩画があり、パレットの上はひどく荒れているが、その上にある色彩は海の上にのぼる太陽を描いた水彩画の色とリンクしている。ひとつのパレットから世界を生み出していくアーティストの創造の原点を表しているのだろう。
「バミューダ・トライアングル」と名付けられたケースには、5機の戦闘機らしき飛行機が吊るされ、1945年にこの海域で5機の訓練中の飛行機が行方不明になった事件をモチーフにしているようだ。海底には鉛の栓があり、5体の飛行機が今もどこか別の世界で彷徨っているように感じられた。
「罌粟と記憶ーパウル・ツェランのために」と名付けられたケースには、鉛の本を突き刺しながら無数のけしのつぼみが生えている。狭い空間の中いっぱいに広がるけしのつぼみは、本からも養分を吸い取っているように見える。
ケースの細部を見れば見るほど想像が広がる。そして、鉛・煉瓦・斧などの重厚感のある素材と、薄いキャミソールドレス・砂・水彩画が描かれた一枚の紙などの繊細な素材が同居し、絶妙なバランスで詩的で美しい世界を作り出していた。